もう知り得ることのできない古代を深く考える時、遺跡が歴史と現人類とを繋いでくれる。
しかし歴史の中で失われた情報、そして追加された情報、改竄、ねつ造された情報、さまざまな事象が重なり、いつしか謎となってしまったことも世界には数多ある。
今回はその中から7つの不思議として、少し変わった遺跡などにまつわる話を紹介しよう。
アフガニスタンの奥地の山岳地帯に突如と高く真っ直ぐに60mの塔がそびえ立つ。
この塔は『ジャームのミナレット』と呼ばれる。
このレンガ造りの塔の側面には古代イスラムのカリグラフィーや幾何学模様が繊細に彫り込まれており、所々鮮やかなターコイズブルーのタイルで彩られ、非常に美しく、優美な姿をしている。
この塔は、約800年前に当時この一帯を支配していたゴール朝によって建てられたとされている。
その目的などは不明だが、歴史上の謎の一つに繋がる鍵を握る重要な建築物であると言われている。
ゴール朝とは12世紀後期~13世紀前期にガズナ朝を略奪したアラー・ウッディーン・ムハンマドによって建てられた王朝で、アフガニスタン、現在のイラン、パキスタン、インド地域を支配する巨大勢力だった。
その時代にフィロッコ、別名ターコイズマウンテンと呼ばれる都市が存在したという。
フィロッコは、ユダヤ教徒、キリスト教徒、ムスリム教徒が平和に共存していた素晴らしい都市だったと言われている。
しかし、その後ゴール朝は分裂により勢力をなくし、消滅。それに伴い素晴らしい都市、フィロッコの場所も不明となり、長年人々の好奇心を刺激してきたのである。
『ジャームのミナレット』は、そのフィロッコが存在していた証明になるのではないかという説が根強く残っている。これは、アフガニスタンの容易には到達できない場所に建てられたことも、理由のひとつだろう。また、8世紀もの間アフガニスタンという、地震も水害も多く、乾燥や猛暑に曝されるこの土地で、誰にも知られずに残っていたという事実だけを切り取っても非常に好奇心を刺激するミステリアスな塔である。
現在『ジャームのミナレット』はユネスコの世界遺産としても登録されたが、水害などによる劣化が激しく、危機にある遺産として認定されている。伝説の都市を明かすきっかけになる可能性がある塔が、今度は歴史の中に姿を消してしまう、ということにならないことを祈りたい。
最初にエメラルド・タブレットが確認されたのは6世紀~8世紀のことだった。
元々このタブレットは古代シリア語で書かれていたが、まずアラビア語に翻訳されたという。その後も多くのものがその存在に魅了され、日本語を含む多言語に翻訳し、錬金術の奥義をつかむべく、その謎の解明に挑んできたとされる。その中には、かのアイザック・ニュートンもいたと伝わっている。
実態が確認されたことがないため、現在までに様々な噂や説が語られている。その起源についても、所見によっては1200年前、または3800年前などと大きな開きがある。しかし比較的統一されている情報としては、発見されたのはエジプトのピラミッドの隠し部屋内だということ、伝説的な錬金術師・ヘルメス・トリストギメスが関わっているということ、そしてこれが世界最古の書籍であるということだ。
エメラルド・タブレットには、錬金術の基本原理とされる『As above, so below』(下のものは上のもののごとく、上のものは下のもののごとし)と、記されているという。この板の意味を理解することができれば、『賢者の石』の錬成に成功した後に錬金術の真髄に辿り着けるのかもしれない。
沈没船から発見された古代のものがその頃にはあるはずのない技術を備えていた。
そんなSF映画のような話が現実にも起こったことがある。
それが、『アンティキティラ島の機械』と呼ばれる銅版だ。
この銅版は約2000年前のギリシャの沈没船の中から見つかった。
銅版には、連動して動くからくりが仕込まれている。発見当初は船の中で見つかったということもあり、航海のために使用されていたナビゲーターではないかと思われていたが、後の研究により、この機械は実は非常に精巧な天体カレンダーとしての機能を持っているということが判明している。
また内部をエックス線で透視したところ、多数のギアの存在する複雑な構造をしていることが確認され、他にもまだ解明されていない機能を秘めている可能性もあるという。
もちろん、2000年前にはこの様な技術は存在していなかった。
あまりにも卓越した技術と精巧性を持っているため、世界最古のアナログコンピューターと言われることもあるほどだ。
誰が何のために作り、どの様に使用していたかは謎に包まれたままである。
しかし非常に優秀な人間が丁寧に作ったことは間違いない。その様な技能を持った人たちが何を考え、どの様に作ったのか、またどの様な社会で使用されていたのか、古代ロマンへの想像が膨らむ。
1938年に中国、バヤンカラ山脈を調査目的で訪れていたチャイ・プー・テイ博士がとある洞窟を発見した。中に入って様子を見てみると、どうも以前に文明が存在し、人々が住んでいたような形跡が発見された。
そしてさらに先に進んでみると、通常よりも大きな頭蓋骨と共に、石で出来た716個もの大量の円盤が転がっていたという。
円盤はそれぞれ直径30㎝ほどで、真ん中に穴が開いている。
そして円盤には穴を囲むかのように2重の溝が掘られ、その溝の間にヒエログリフのような文字が描かれていた。その後の調べで、この円盤は10,000年~12,000年前のものであるという結論が出される。
そして、調査ではだんだんと他にも信じられないようなことが明かされていった。
それはこのヒエログリフのような文字を解読してみると、地球外生命体の乗った飛行物が故障し、その地に墜落した、ということが克明に記録されていたのである。
そして自分たちのことを『ドロパ』と呼んだ地球外生命体はその洞窟に住みつき、その後も子孫がそこで暮らしているというのである。
これらの衝撃的な話は、オックスフォード大学教授・カーリー・ロビン・エヴァンスと名乗る人物が、『Sungods in Exile』という本で紹介したことから、世界中を駆け巡った。
だが、話が広がると共に、事実ではないのではないか、という疑惑もついて回る。
なぜならば、1938年に行われたという調査の記録もなければ、実際の円盤は確認が取れず、唯一証拠となるものといえば写真のみ。ハッキリとした証拠となるものは何ひとつもなかったのだ。
その後、1988年には本の作者であるデビット・アゴモンが『Sungods in Exile』に関してはエヴァンス教授の存在も全て自分の作り話だったと白状し、疑惑はさらに高まった。
しかし、地球外生命体の存在を信じるものの間ではいまだにこの円盤はUFOであったという声もあり、ドロパストーンの真意についての議論はまだ続いている。
1961年、ペルーの内科医、カブレラ博士は42歳の誕生日に友人から小さな箱に入ったプレゼントをもらった。その箱を開けてみると、複数の石が入っており、その中の一つに絶滅種とされる魚が彫られていたという。このことに感動した博士は、コレクションを開始し、76年にカブレラ教授は『イカの石に刻まれたメッセージ』という本を出版。その中では「地球上にかつて存在した高度に発達した文明が、石の表面にその発展の歴史を記し、何らかの世界規模のカタストロフィが起こる前に石を残して地球を去った」という仮説を示した。
これらの石は500年~1500年前のものとされ、模様を見てみるとインカ文明にはよく見られた性描写、そして心臓手術や、脳移植、また恐竜と人間が共存しているかのような模様などがクッキリと彫られていた。
もし、この様な様子がインカ帝国で見られていたとしたら、今までの歴史の解釈を覆す大きな発見であったことは間違いない。
博士の発表後、この石は世界中で話題になった。だが、お金になるのであれば、とマネして偽物を作って売るものが現れ、しまいには偽物の偽物までが現れるなど、場は混乱し始め、さらには彫られたイメージの真偽についても論争が起こる。
また、恐竜と人間が共存していたことはないという定説を覆すような内容は嘲笑の対象となったが、共存説を信じるものからは証拠が見つかったという声も上がっていた。
結局、偽物を作ったと白状した農夫が逮捕され、作り話であり、彫られたイメージもでたらめだという結論に達している。だが、当初カブレラ博士が集めていた「イカの石」の真偽については、確証が得られていない。
ジョージア・ガイドストーンは、アメリカのストーンヘッジと呼ばれる、謎に満ちた4つの巨大石から成るモニュメントである。だが、ストーンヘンジのように古代の遺跡というわけではなく、こちらは1979年に謎の男、R.C.クリスチャンから建設の依頼を請けた会社がジョージア州に建てたものである。
このR.C.クリスチャンという男は身元をハッキリ明かさず、『ロイヤル・アメリカン』という団体のものだとするだけで、名前も本名ではなかったようである。
その後、この石像の謎を聞き出すために探偵を雇うなど様々な方法で依頼主の消息を追ったが、見つかることはなかった。
このガイドストーンには新世界秩序の10戒が8か国語 (英語、スペイン語、スワヒリ語、ヘブライ語、ヒンズー語、アラビア語、中国語、ロシア語)で刻まれている。そしてこの石の並び方も天体の動きと共鳴するように作られていると言われ、いかにも深い意味がありげな作りになっている。
この10戒の内容は、現在の世界のあり方を変えようというものなのだが、一番インパクトが大きいのは現在60億人いる世界人口を調和のために5億人に削減しようというものだろう。このような内容が8か国語で記されているとなると、陰謀説の存在がちらつくようでもある。
この謎めいた存在は人々の興味を引き付け、現在このガイドストーンは観光地化している。
しかし、その一方で10戒に賛成しない人たちがしたと見られる反対を説く落書きが所々に書き込まれ、建設当初と景観が変わってきているところもある。
依頼主不明、謎に包まれた石像は意味深な存在感を放ち、今日もアメリカの地に立っている。
現在のボリビアに当たる地域では、1世紀頃にアンデス川を中心として文明が栄えていた。
この文明にはあまり知られていない奇妙な風習があったことが、遺跡から判明した。
2005年~2007年に掛けてチチカカ湖周辺で行われていた発掘調査によって存在が判明したこの遺跡は、当初は単純に住居跡だと考えられていた。
そのため発掘調査に当たっていたアメリカ、フランクリン&マーシャル大学のスミス教授を始めとする調査チームは食器や調理器具などが見つかるだろうという見通しだったのだが、実際に掘り出されたのは、25人分はあるだろう細かい人骨だった。
住居だと思われていたこの部屋では一体何が行われていたのだろう。
この骨を詳しく調べていく過程で、部屋の目的がハッキリと見えてきた。
これらの骨には化学物質がついており、それを温めて水と混ぜると、脂肪や体の組織を溶かす物質になるということが判明したのだ。つまり、古代ボリビアの人たちはこの部屋で人体を溶かしていたと考えられるのである。
骨をさらに調べてみると、この遺跡で溶かされていたのは地元の人たちではなく、立ち寄った移動民族のものであるということもわかった。移動しながら生活する人々は、荷物を最小限に抑える必要があるが、亡くなってしまった近しい人を近くに感じるために、肉を溶かし、骨の状態で持ち歩いて一緒に旅を続けていたのであろう。
今回見つかった遺跡によって、生と死の境があまりなく、人の姿は変わっても、関係性はそのまま続くという、古代の人々の死生観がよくわかる結果となった。
古代遺跡やオーパーツを7つ紹介
その中には古代ロマンを求めるあまり生まれた、少しきな臭い謎もあれば
もう答えを知り得ることのない謎、そして調査により解決された謎など、様々なものがある。
共通して言えるのは、過去は人々の好奇心と探究心を強く刺激するということ
私たちが住む現代もいつか古代となっていく。
未来の世界に私たちはどのような謎を残し、どの様な刺激を与えるのだろう?
欧米では「この世を離れるのを拒んだ亡霊や、物の怪などの超自然的な存在が、生きている人間に取り憑こうとする」過程の中で、霊が物に取り憑くと見ている。「呪いの館」などがその有名な例だが、宝石や絵画など、比較的小さな物にも取り憑くことが多く、世界には呪われたアイテムが数多く存在するとされている。
今回は、そんな呪われた物の中から、世界的に有名な「呪われた物」を前回と同様ご紹介しよう。
ユダヤ人の伝説によると、「ディブクの箱」とは、古代の邪悪な悪霊が取り憑いた木製の箱のこと。
この悪霊は非常に強い力を持ち、人間に取り憑こうとするという。
2001年9月、アンティーク・バイヤーとアンティーク家具を補修/復縁する専門の熟練労働者が、オレゴン州ポートランドで行われた「103歳になる老女のエステートセール」に行った。
エステートセールとは、老人がホームに入所したり、死亡したとき、住んでいた家の中にある家具や遺品を整理目的で売りさばくことで、アメリカでは一般的に行われていること。
このセールで、バイヤーたちは、古いワインキャビネットを購入したのだが、その際、孫だという女性から、「老女がナチスによるユダヤ人大虐殺の生き残りだったこと」「このキャビネットと共にアメリカに移住したこと」「キャビネットはいつも隠されていたこと」「『ディブクという凶悪な霊が入っているから絶対に開けてはならない』と言っていたこと」「自分が死んだときに一緒に埋めて欲しいと切望していたこと」を明かされた。しかし、死んだときに一緒に埋めるのは、ユダヤの伝統に反するため売りに出すことにしたというのだ。
悪霊話を信じないバイヤーは気にすることなくキャビネットを持ち帰り、店の地下にあるワークショップに置いたのだが、電気が突然消えたり、ドアや門に鍵がかかるなどの不思議な現象が次々と起こるように。地下室はネコの尿を撒き散らしたような悪臭がたちこめ、電球は取り替えてもすぐに割れてしまった。店員たちは、「地下から恐ろしげな音が聞こえる」と気味悪がり、バイヤーは仕方なくキャビネットを自分の母親に贈ることにした。だが、母親はキャビネットを受け取った直後、脳卒中で倒れ入院。
病院で泣きながら「プ、レ、ゼ、ン、ト キ、ラ、イ」と指で書き訴えたという。
バイヤーはその後もキャビネットを人に譲ろうとしたが、誰もが「薄気味悪い」と言い、つき返されてしまった。そのうち、バイヤーは同じ内容の悪夢を繰り返しみるようになり、日中も蠢く人影を見るようになった。首筋に息を吹きかけられている感覚がして、振り向くと、黒い影がキャビネットを保管している場所にスッと入っていくのを目撃したこともあった。ディブクの箱伝説は本当なのだと確信したバイヤーはキャビネットを手放す決心をし、米最大手オークションサイト『eBay』に「呪われたディブクの箱」と説明文をつけ出展した。
キャビネットは、ミズーリ州の医療博物館の館長を務める男性が落札。
男性も奇妙な経験をするようになり、ディブクの箱についての本『The Possession』を執筆。
ベストセラーとなり、2012年に『ポゼッション』というタイトルで映画化された。
2000年、米大手オークションサイト『eBay』に、ビル・ストーンハムという画家が1972年に描いた「抵抗する手」という絵画が出展された。無数の手が浮き出ているガラス張りの玄関の前に立つ少年の横に、少女型の人形が立っているという何とも薄気味悪い作品で、俳優のジョン・マーリーが長年所持していた。
『eBay』に出展したのは、ジョンの後に、この絵を所有したカリフォルニア州在住の夫婦で、「この絵を所有することにより起こりえる問題」という警告文が記されていた。
その警告文には
「夜中、絵の中の少年と人形が動きまわり、キャンパスから消えてしまうことがある」
「絵をかけていた部屋に、絵の中の少年が入ってきたことがる」
「絵を見たものは、誰もが気分が悪くなり、意志薄弱になる」
「小さな男の子が、絵を見た瞬間、叫びながら部屋を走り出たことがあった」
「絵を見た瞬間、誰かにつかまれているような感覚や、熱風を感じる大人が多い」
と、気味が悪いことばかり書かれており、オンライン上の『eBay』でこの絵を見ただけで、不安な気持ちになったり、恐怖に襲われる人が続出。
この絵をプリントアウトしようとしたところ、ほかのものはプリントできるのに、この絵だけはプリントできずエラーになってしまうという怪奇現象を経験した人もいた。
絵は、ミシガン州グランドラピッズのアート・ギャラリーが落札。
描いた画家にコンタクトしたところ、「呪われた絵として話題になっているとは知らなかった」と驚きながらも、この絵を所持していた最初の2人が、1年以内に急死していたことを告白。
この絵は、霊を招くもので、悪霊に取り憑かれてしまったのだろうと、多くの人が推測している。
1970年、とある女性が大学に通う娘のために、アンティークショップで“ラガディアン&アンディ”風の人形を購入。
娘は喜びルームメイトと住むアパートに持ち帰ったのだが、その途端、奇怪なことが起こるようになった。
誰も触っていないのに、人形の位置が変わったり、別の部屋に移動するようになったという。
床に見たこともない羊皮の紙が落ちており、手に取ると、明らかに子どもだとわかるような字でなぐり書きされていた、という気味の悪いこともあったという。
怪奇現象はヒートアップし、布製の人形であるにもかかわらず両足で立つようになり、娘たちは霊媒師に鑑定してもらうことにした。
霊媒師は「この人形は昔、このアパートで亡くなったアナベルという名の少女の霊に取り憑かれている」と鑑定。「あなたたちが好きで、一緒にいたいといっている」と伝えられた娘たちは、「いいわよ」と言い人形を持ち帰った。しかし、部屋に泊まった娘のボーイフレンドが夜中、人形に襲われ、胸と喉に無数の深い切り傷を負うという一大事が起き、娘たちは藁をもすがる気持ちで、著名な超能力調査官、ウォーレン夫妻に連絡。夫妻は「人形に取り付いているのは、少女の霊ではない。たちの悪い悪霊が、娘たちに取り憑こうと少女の霊だと嘘をついているのだ」と鑑定した。
夫婦に引き取られたこの人形は、現在、コネティカット州のオカルト博物館に、ガラス張りのキャビネットに入れられ、「警告:絶対に開けないでください」という警告文と共に展示されている。
イングランド北部の町に住むショーン・ロビンソンは、2010年、祖母から「苦悩に満ちた男」という恐ろしげな絵画を相続した。
祖母は生前、「この絵を描いた画家は、自分の血と絵の具を混ぜ合わせて、この絵を描いた。そして完成後、自殺をした。画家の苦しみが呪いとしてこの絵に取り憑いており、悪さをする。悪魔の絵だ」「この絵を壁にかけていると、話し声や、すすり泣く声が聞こえる。家の中を男の影が彷徨うようになる」と言い、25年間屋根裏に仕舞いこんでいた。
呪いなど特に気にしないショーンは、絵を自宅に持ち帰ったが、その夜から家の中で奇妙な現象が起こるようになった。
息子は階段から転げ落ち、妻は誰かに髪を撫でられているような感じがしたと主張した。
家族全員が、男の影が横切るのを目撃し、夜中に、すすり泣く声やもだえ苦しむ声を聞くようになった。
その超常現象は酷くなる一方で、彼が寝ている寝室の隅から泣き声が聞こえるようになり、寝ている彼らを男の影が見下ろすまでになったという。
超常現象など信じていなかったショーンだが、絵画が原因なのかもしれないと思うようになり
絵の前にビデオカメラを置いて夜通し撮影することにした。
すると、気味の悪い声や、煙のようなものが現れたり、ドアがひとりでにバタンと閉まったり、壁から絵が落ちるなどの現象が撮れてしまった。
驚いたショーンは「誰かアドバイスをくれるかもしれない」とYouTubeにこのビデオをアップ。
一部のネット住民たちを恐怖の底に陥れた。
その後、ショーンは一時的に両親の家に身を寄せたのだが、絵画を持参したせいか、父親が階段から転落。
絵の呪いだと確信した彼は、超常現象研究グループにコンタクトをとり、問題の絵画を検証してもらうことにした。
2013年5月、研究グループは12世紀(西暦1101年から西暦1200年)からある幽霊屋敷として有名なチリンガム城で、城に住む幽霊にこの絵のことを訪ねようと霊的交渉を行った。
しかし、城の霊は、絵画に取り憑いた霊を嫌い、激怒したという。
城の霊はポルターガイストを起こし、研究者たちを追い出した。
この交渉には20人あまりが立ち会っており、全員が恐怖の体験をしたと報告。
ほかの霊も嫌うほど、絵画に潜む霊は悪いものに違いないと囁かれている。
1904年、フロリダ州キーウエストのオット家に仕えていたハイチ出身の使用人が、その家の4歳になる坊や、ロバート・ユージーンに、個性的な顔を持つ大きな手作りの人形をプレゼントした。
ロバートはこの人形をとても気に入り、自分と同じロバートという名前をつけ、楽しげに話しかけ、一日中、一緒に過ごすようになった。
しかし、周囲は人形を気味悪がり、「人形から薄気味悪い声がもれるのを聞いた」「悪魔の人形だ」と言うようになった。
部屋がめちゃくちゃに荒らされたり、花瓶が粉々に割れるという酷いことが起きるたびに、ロバートは真っ青な顔でぶるぶる震えながら、「ボクじゃないよ。人形のロバートがやったんだ!」と言うようになり、家族はその人形を毛嫌いするようになった。
ロバートはキーウエストを代表する画家になり、アンという女性と結婚したが、あの人形は大人になっても、いつも側に置いていた。絵を描くときは人形と共にアトリエにこもったという。
結婚後、人形を嫌がる妻の気持ちを考え、屋根裏部屋を人形の部屋にしたが、「ロバートが、屋根裏部屋からじゃ、眺めが悪いって言うから」と言い出し、結局、見晴らしのよい寝室を与えてしまった。
そして、窓の側に椅子を置き、人形を外に向けて置いた。家の前を通る、多くの人が、窓際に置かれたこの人形が動いたり、恐ろしい形相になるのを目撃している。
ロバートはアンにDVをしているとの噂も流れるようになったが、彼はそれも人形がやったと主張していたと伝えられている。
1972年、ロバートは死去。人形は屋根裏部屋に放置され、アンの死後、家は売却された。
新しく移り住んだ家主には、10歳の少女がおり、人形を気に入り自分の部屋へと移したが、人形が動き回ったり、襲いかかったり、殺されそうになったと泣き叫ぶようになったため、イースト・マーテロー博物館に引き取ってもらうことになった。
この人形のロバートは、現在もイースト・マーテロー博物館に展示されている。
多くの観光客が、ロバートが動いた、表情が変わった、声が聞こえたと証言しており、今なお強い超常現象を起こしていると信じられている。
像が発見された後の最初の持ち主であるエルフォント卿は、所有して6年以内に、一族7人全員が相次いで不審な死を遂げた。次に像の持ち主となったアイバー・マヌッチの家族も、4年間で全員が死去してしまった。
3番目の持ち主となったトンプソン-ノエル卿の家族も次々と不幸に見舞われ、4年後に一族は絶えてしまった。
4番目の持ち主、アラン・ ビーバーブルック卿も像を購入して間もなく亡くなり、彼の妻、娘2人も相次いで死亡。息子2人は、周囲から、「この像は死の女神と呼ばれるもの。持っている者、その家族の命を奪う。早く手放した方がいい」と言われ、エディンバラにあるスコットランド博物館に像を寄付することに決めた。
博物館の歴史学者たちは、「像が持ち主と家族を殺す」という言い伝えを、「単なる伝説、あったとしても偶然」だと片付けたが、像を受け入れ展示した博物館の係長も、直後、病に倒れ死亡している。
この係長の死を最後に死人はでていないが、それはガラスケースの中に保管されているからであり、再び箱から出され、像に誰かが触れたら、確実に死んでしまうだろうと恐れられている。
1702年、この居酒屋のオーナーだったトーマス・バスビーは、義理の父親、ダニエル・アウティを、ハンマーでめった打ちにして殺害した。
2人はそれより以前タッグを組み、軽い犯罪に手を染めていたが、舅、婿という関係から馬が合わず、よく口論をしていた。いつものように口喧嘩をした後、外で頭を冷やして居酒屋に戻ったダニエルは、自分が一番大事にしているお気に入りの椅子に、ダニエルがドカッと座っているのを見てカッとなった。
常に酔っ払っている状態だったとも伝えられているトーマスは、ダニエルに居酒屋から出て行くよう命じ、
その後、町中、彼を探しまくり、ハンマーで撲殺。近くの森に遺体を捨てた。
遺体はすぐに発見され、トーマスはダニエルを殺人した罪で逮捕、死刑を宣告された。
居酒屋と道を挟んだ場所に絞首台は設置され、トーマスは、死刑執行直前、自分の居酒屋で最後の食事をした。食事が終わった直後、彼は大声で、「この椅子に座った者に、呪いを!私と同じ悲惨な死が与えられるよう!」と叫んだ。絞首台に吊るされた彼の死体は、見せしめのため、数日間、そのまま放置されたと伝えられている。
その後、付近をうろつくトーマスの幽霊らしきものが目撃されるようになったというが、人々を恐怖の底に陥れたのは、彼が呪いをかけた椅子だった。
呪いをかけたトーマスの言葉通り、椅子に座った人が、その後、間もなくして死亡するという不可解な現象が、次々と起こるようになったのである。
何も知らずに座ってしまった煙突掃除夫は、翌朝、古い絞首台の門柱の側で死亡しているのを発見される。
呪いを面白がって代わる代わる座ったイギリス空軍パイロットは、その日のうちに運転していた車を木に激突させ即死した。肝試しで椅子に座った、多くのバイカーたちも、大事故に巻き込まれ命を落とした。
座った翌夜、心臓発作を起こし死んだ者、2日後に車に撥ねられ即死した者もいた。
誰もが、トーマスの言葉通り、悲惨な死を迎えたという。
1970年代、この居酒屋を買いとった醸造所は、このおぞましい呪いの椅子をサークス博物館に寄付した。
博物館は、壁の高い位置に椅子を打ち付け、誰も座れないようにした。
1978年以降、この椅子には誰も座っていないが、呪いは永遠に続くものとされており、今なお、人々に恐れられている。
ルドルフはサイレント映画俳優として大ブレイクしていた1920年、ふらりと訪れたサンフランシスコの宝石店で、とある指輪に強く惹かれた。
店主は、「この指輪には、あまりよくないジンクスがある」と説明したが、ルドルフはそれでもほしいと購入。
『ヤング・ラジャー』(1922)に、その指輪をはめて出演した。映画は大ゴケしてしまい、ルドルフはその後2年、映画制作から遠ざかるはめになった。
ジンクスのせいかもしれないと、指輪を外し箱に仕舞いこんだルドルフだったが、
『熱砂の舞』(1926)の撮影時に、指輪を小道具として使いたいと提案。撮影終了3週間後に訪れたニューヨークで虫垂炎に倒れ、わずか2週間後に命を落としたのだった。
指輪は、人気サイレント映画女優のポーラ・ネグリが形見として譲り受けたが、すぐに病に倒れ長期間の療養を強いられることとなった。
その後、「呪いなんて信じない」と指輪をはめたジョーの弟には呪いはかからなかったが、指輪を盗もうとした盗人が、脅しのため天に向けて撃った銃弾になぜか当たり死亡。
さらに、伝記映画でルドルフ役を演じる俳優が、この指輪をはめた10日後に奇妙な血液の病気で急死したため、「確実に呪われている」と見なされ、これ以上、犠牲者が出ないようにと、ロサンゼルス銀行の貸金庫に預けられた。
はめた人の命を、次々と奪ってきた呪われた指輪は、現在もその貸金庫で眠っている。
ムー大陸とは、イギリス人作家のジェームズ・チャーチワードが提唱したおよそ1万2000年前に存在したとされる大陸。ムー大陸は伝説の「アトランティス」と同様に、優れた文明を持ちながらもたった一夜で海に沈んでしまったといわれている。
「ムー」という名前はトロアノ絵文書という古書に記されていた滅亡した王国に由来する。
1863年、トロアノ絵文書を翻訳したフランスの聖職者シャルル=エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブルブールは、ムーと呼ばれたこの王国には伝説の大陸アトランティスとの類似点が多く存在することを発表。
提唱者のチャーチワードによるとムー大陸にはムー文明と呼ばれる古代文明が存在し、ムー人と呼ばれる人々が6400万人も暮らしていた。ムー人は白人で構成される民族であり、
彼らの王「ラ・ムー」は太陽神ラーの化身として崇められていた。
また、ムー人は現在にも引けを取らない高度な文明を有しており、電気や機械を駆使してとても豊かな暮らしをしていたといわれている。
チャーチワードが発表した著書によると、ムー大陸は今からおよそ1万2000年前に現在の太平洋の中心地点に存在していたとされている。ムー大陸は東西に8000キロメートル、南北に5000キロメートルという非常に広大なもので、太平洋の1/4もの割合を占めていたといわれている。
ムー大陸はアトランティス大陸と同じように、人々の傲慢さに激怒した神々によって沈められたといわれている。確かにムー大陸のように巨大な大陸が一夜で沈没したのであれば、その原因は神の怒りともいえるほどの天変地異だったはず。
ここではムー大陸を沈めることが可能な自然現象についてご紹介する。
ムー大陸のように巨大な大陸を沈没させてしまう自然減少はそれほど多くはないが、大規模な地震であればそれも可能ではないかという説がある。プレートを巻き込み岩盤が破壊されるほどの大地震であれば、巨大な大陸であっても海に沈めることができるだろう。
大津波もムー大陸滅亡の原因になり得る。
巨大な津波による衝撃は相当なもので、人間や建物を簡単に押し流してしまう。
たとえ先進的な文明を持っていたムー文明であっても、巨大な大津波には敵わなかったに違いない。
火山の噴火もムー大陸を滅亡させるには十分な原因といえる。大規模な火山活動は大津波を発生させ、周囲の大陸や島々を崩壊させる。
今から1万2000年ほど前には地球規模での大量絶滅が起こっており、小惑星が地球に衝突した可能性もあるといわれている。
ムー大陸の提唱者であるジェームズ・チャーチワードは、アメリカに住むイギリス人の作家。
ジェームズの父ウィリアム・チャーチワードは大海に沈んだ幻の大陸が存在していると周囲に語っていたという。
しかし、周囲は彼の説に対して耳を傾けることはなかった。
父が亡くなった後は息子であるジェームズがその意思を継ぎ、やがてムー大陸を提唱するようになった。
ナーカル碑文とは、ジェームズ・チャーチワードがイギリス軍人としてインドに滞在していたときに発見したとされる古書。
彼は現地での奉仕活動や古代文字の研究を通して現地の宗教関係者と親しくなっており、そのうちのひとりから古くから寺院で保存されている謎の粘土板の存在を知らされたという。
メキシコの石板とは、チャーチワードがナーカル碑文に関連する古書を探していた際にメキシコで出会った石の遺物。
ナーカル碑文やメキシコの石板を元に提唱されたチャーチワードのムー大陸説だが、現在では存在しないとする見解でほぼ一致している。
ここではムー大陸が存在しないとされる理由をご紹介しよう。
ムー大陸はジェームズ・チャーチワードという人物がその著書の中で提唱したもの。
しかし、このチャーチワードという男は嘘つきなことで有名で、その発言に信憑性はないとまでいわれていた。
チャーチワードはナーカル碑文を発見した際に、自分はイギリス軍人であったと語っている。
しかし、彼がイギリス軍に所属していた証拠は存在していない。
太平洋の海底を調査した結果、プランクトンの死骸などの堆積物が数百万~数千万年分も蓄積していることが判明した。この事実は太平洋の海底が数百万~数千万年のあいだは海底であったことを示している。
堆積物の下にある海底地殻からもその場所が過去に大陸であったかを調べることが可能。
音波による太平洋の地殻調査の結果、太平洋の海底の年齢は新しいものでも1000万年、古いものでは1億年も前のものであることが判明した。
先述の理由から太平洋には沈没した大陸は存在しなかったという考えが一般的になった。
しかし、研究者の中にはムー大陸は存在しなかったが、ムー文明は存在したのではないかという説を唱える人物も存在する。
ここでは大陸が存在しなくてもムー文明が存在していたとされる説の中をから特に有名なものご紹介する。
ムー文明は大陸ではなく海上に拠点を置く「海洋国家」だったのではないかとする説。人類の歴史の中には海上に拠点を持つ国家も実在しており、紀元前1200~1500年前に繁栄したトンガ大首長国はムー大陸に匹敵するほどの領土を有していた。
氷河期末期に上昇した海水面によって海に沈んだ大陸棚にムー文明が存在していたとする説。
比較的浅い海の大陸棚は氷河期以前には水上に位置していた可能性があるため、この陸地にムー文明が栄えていたのではないかとする研究者も存在する。
現存する島々も海水面がもっと低かった氷河期には海上で陸地が繋がっており、もっと大きなひとつの島だったのではないかといわれている。
陸続きだったこの巨大な島は「ジーランディア大陸」と呼ばれ、氷河期以前の地球には現在のものと合わせて7つの大陸が存在したのではないかという説がある。
このジーランディア大陸は現在のオーストラリア大陸の東側にある島々の海底に位置しており、これがムー大陸の正体ではないかともいわれている。
幻のムー大陸についてご紹介したよ
現在ではムー大陸はジェームズ・チャーチワードの虚言であると考えらえていて
その存在を信じている人は僅かしか存在しないみたい
だけど、アトランティス大陸やレムリア大陸など
海底に沈んだ大陸の伝承は他にも数多く存在するけど
これらは完全な創作だと思う?
それともモデルになった文明が存在したのかな?
世界にはまだまだロマンが溢れている。
ヴォイニッチ手稿とは、1912年にイタリアの寺院で発見された謎の写本。
読解困難な未解明の文字と存在するはずのない動植物などの絵が描かれていることから、オーパーツ(場違いな工芸品)のひとつにも数えられている。
ヴォイニッチ手稿の名前は、それを発見したポーランドの古物商ウィルフリッド・ヴォイニッチに由来する。ヴォイニッチはイタリアのモンドラゴーネ寺院で後に世界のミステリーとして語られるこの奇妙な古書を発見した。
ヴォイニッチ手稿は発見者のヴォイニッチによって1915年に世間に公表された後、多くの考古学者や暗号解読者の手によって調べられたが結局謎の解明には至らずヴォイニッチ手稿は植物や天体を書き写した写本であると考えられることから「ヴォイニッチ写本」と呼ばれることもある。
ヴォイニッチ手稿は縦23.5センチメートル、横は16.2センチメートルほどの大きさ。^
厚さは5センチメートルほどであり、ページ数はおよそ240ページもある。
ヴォイニッチ手稿はまるで研究にでも用いられたかのように植物や天体を詳細に描いており、それについてのメモとみられる未解読文字が相当数書き込まれている。
ヴォイニッチ手稿に記されている文字は、現在知られている世界中のどの文明のものとも異なる奇妙な文字。謎の絵に添えて書き込まれていることから、それらを説明する文章であると考えられている。
多くの言語学者が調査した結果、ヴォイニッチ手稿に記されている文字には規則性があり、意味なく書きなぐったものではないことがわかっているが、その全内容までは解明できていない。ヴォイニッチ手稿には未解明文字だけでなく、非常に奇妙な絵もかなりの数描き込まれている。
その多くは植物や花をスケッチしたと思われるものだが、不思議なことにヴォイニッチ手稿に描かれるような植物や花は実在していない。
ヴォイニッチ手稿がいつ頃作られたのかは正確には判明していない。
それを知るための文字が解読していないから。
しかし、ヴォイニッチ手稿に使用されている羊皮紙を年代測定した結果、1400~1440年頃に作られた紙であることがわかった。そのためヴォイニッチ手稿は1400年代初頭からそれ以降に作られたものであることがわかっている。
ヴォイニッチ手稿の作者についても厳密にはわかっておらず、いくつかの説が存在している。
ボヘミアの錬金術師であり魔術師としても知られるエドワード・ケリーはヴォイニッチ手稿の作者候補のひとり。ケリーは当時、錬金術に熱中していたルドルフ2世に献上するためにヴォイニッチ手稿を作成したのではないかという説がある。
しかし、ディーは秘密結社「薔薇十字団」の一員だとする説もあり、ルドルフ2世によるヴォイニッチ手稿入手にも関わっていたことから、ヴォイニッチ手稿は秘密結社に関係する書物だったのではないかとも考えられている。
「驚嘆的博士」と呼ばれたイギリスの哲学者ロジャー・ベーコンもヴォイニッチ手稿の作者候補のひとり。ベーコンは実験観察を重視する近代科学の先駆者と呼ばれており、当時の宗教的迫害から薬草学を守るために暗号を用いた医学書としてヴォイニッチ手稿を作ったのではないかといわれている。その内容が解読されていないためヴォイニッチ手稿の価値を判断すること困難。
しかし、ルドルフ2世はこれを600ダカット(現在の価値にすると6000万~1億2000万円ほど)で購入したといわれており、当時は錬金術書として相当の価値があったことがわかっている。
一部解読された現在でも多くの謎が残るヴォイニッチ手稿は一体何のために作られたのだろう?
ここではヴォイニッチ手稿の正体として特に有名な説をご紹介する。
ヴォイニッチ手稿は錬金術書を装った偽装品であるとする説。
中世において錬金術は万能の秘術であると期待されており、時のボヘミア王ルドルフ2世は600ダカットという大金を支払ってでもヴォイニッチ手稿を手に入れたがったという。
そのため錬金術を研究する者の中には偽装品を作ってでも儲けたいと考える者もいたかも知れない。
偽装品説に並んで有力とされているのがこの暗号説。
ヴォイニッチ手稿は通常では読むことができない文字が書き込まれているため、秘密結社などが連絡の手段に用いた暗号文書だったのかも知れない。
ルドルフ2世によるヴォイニッチ手稿の購入に関わったとされるジョン・ディーは、秘密結社である薔薇十字団の運動にも携わっていたといわれている。
ヴォイニッチ手稿に描かれている植物がこの世に存在しないものばかりであるため、パラレルワールドで作られたものが何らかの理由で現行世界に迷い込んだものであるとする説。
オーパーツとしてヴォイニッチ手稿を見たときにオカルト界隈でよく語られる説になってる
2017年9月9日、信頼あるタイムズ紙系列の雑誌媒体「THE TIMES LITERARY SUPPLEMENT」において、歴史研究者のNicholas Gibbs氏がヴォイニッチ手稿の解読に成功したと発表した。
ヴォイニッチ手稿は長年解読不能とされてきたが、Gibbs氏はそれが「専門用語をさらに独自の略語を用いて記述されているため」だと発見したのだ。
また、同時代の墓石や石板に刻まれているラテン文字を当てはめることにより、その内容を知るまでに至ったという。
この新たな真実は現在世界各地で波紋を生んでおり、長年のオーパーツの謎の解決に興奮する声や、人類史のロマンがまたひとつ消えてしまったことへの感嘆の声も上がっている。
僕もその一人。
出典:wikipedia
解読不能の文字と未確認植物が描かれた古書ヴォイニッチ手稿についてご紹介したよ
ついにヴォイニッチ手稿の内容が一部解明されてしまったけど
この医学書がどうしてわざわざ解読しにくい独自の略語によって書かれたかは
依然謎のままとされているみたい
ヴォイニッチ手稿の著者は一体なぜ、何のためにこのような書物を残すに至ったのかな?
まだ全てが解読されてはいないようだけど
謎が解明されればと期待する半面
解けてしまうと、どこかさびしい
それでも
世界にはまだまだロマンと謎が溢れかえっている
スピリチュアルの世界ではアセンションによって起こる物理的な問題よりも、精神的な影響に焦点を当てている。彼らの中でアセンションは良いものであるとされ、積極的にアセンションを取り入れようとする動きまで存在している。
ここではアセンションによって起こる精神面の影響についてご紹介する。
科学的根拠は全くないが、アセンションは次元を現在の三次元から五次元にまで引き上げるといわれている。現在、私たちが暮らす世界は立体で構成される3次元の世界。
これに時間を加えた概念を四次元と呼ぶが、スピリチュアルの世界では時間や場所を超越する「五次元世界」という考え方が存在する。
五次元世界では時間や場所の境界が存在しないため、行きたいと思った時代や場所にいつでも移動することが可能になるらしい。彼らはこれらを「魂」や「気」という言葉で説明し、フォトンベルトに含まれる膨大な光の粒子エネルギーがこれを可能にするとしている。
五次元世界では空間を超越しているため、人間の体は単なる入れ物でしかない。
そのため人の意識は体という境界に縛られることなく、他人の意識と共有されることになる。
意識が共有されることで戦争などの争い事はなくなり、世界は平和になるといわれているが・・・。
五次元世界では時間や場所を超越することで、現在では超能力と呼ばれる類の力を誰もが持つことができるようになるという。意識を共有することでテレパシー(精神感応)を使うことができ、空間を超えることでテレポーテーション(瞬間移動)も可能になるらしい。
しかし、アセンションが起こることで地球は天変地異に見舞われ、私たちの肉体は死滅してしまうという。
スピリチュアルの世界ではフォトンベルトに衝突しなくても、精神力(波長)を高めることで個人単位でアセンションを起こすことが可能であるとされている。
この方法であれば地球が滅亡することなく、超常的な力を手に入れることができるという。。。
しかし、膨大な光の粒子と衝突するに等しいエネルギーを個人単位で生み出すことは容易ではない。
そのため個人単位でのアセンションは誰にでもできるわけではなく、選ばれた一部の人間のみが到達できる領域であるとされているようだ・・・・・・・
アセンションはスピリチュアル上の単なるひとつの考え方に過ぎず、科学的には全く根拠のない概念だ。しかし、アセンションの存在を認めることよって、これまで謎とされてきた超常現象の謎が解けるということもまた事実。
次は、アセンションによって解決できる世界の超常現象をご紹介する。
スピリチュアルの世界ではアセンションは個人単位で起きるともいわれていると先ほど説明したが、これらの現象は個人がアセンションを体験した実例だったのだろうか。
デジャブは既視感とも呼ばれ、知らないはずの場所や行動を何故かすでに知っているように感じる現象。デジャブの原因は脳の混乱であるとされているが、時空を超えた別の意識からの干渉がその原因であるともいわれている。アセンションが実在すると仮定するならば、それがデジャブを引き起こしていてもおかしくはないが。
眠っているあいだに未来の出来事を体験する予知夢もアセンションによって説明することが可能。
睡眠中に意識が未来の時空に到達していれば、それを予知夢として見ることが可能だから。
パラレルワールドは私たちの世界と同じ次元に存在するとされる別の世界。
世界にはパラレルワールドに干渉したと考えられる事例が数多く存在しているが、アセンションによって世界の境界線が曖昧になったと考えることも可能
時空を超越するアセンションであればタイムスリップしたとされる事例についても説明が可能になる。アセンションを意図的に起こす装置が存在すれば、それはタイムマシンと呼ばれるのかもしれない。
メディアに注目された2012年にアセンションが起こらなかったため、世間一般ではアセンションは空想の一種であるとされるようになった。
しかし、アセンションの影響を受けるとされた2000年代には、それ以前と比べると明らかな異常が見受けられるという意見も存在する。
事実、2000年代はそれ以前に比べて地震の発生回数が世界的に見ても著しく上昇している。
また、火山活動も異常なほど活性化しており、自然災害の発生件数は4倍にも増加していることがわかっている。これらは単なる偶然?
それとも私たちの知らないところでアセンションは起こっていたのだろうか?
出典:wikipedia
次元上昇を意味する不思議な概念、アセンションについて紹介したよ。
フォトンベルトやアセンションは果たして実在するのかな?
アセンションとは本来「上昇」を意味する言葉であり、スピリチュアルの世界で頻繁に使われる概念
一般的にはあまり知られていない言葉だったが、2012年に地球規模での次元上昇が発生する可能性がメディアで取り上げられ、アセンションという言葉は広く知られるようになった。
アセンションは一般的にあまり使われることのない「概念」であるため
その内容は抽象的で非常にわかりにくいものになっている。
ここではアセンションの発生方法から影響までをできるだけわかりやすくご紹介していく。
アセンションを理解するためには「フォトンベルト」というものの存在を知らなくてはならないらしい。
宇宙には膨大な量の「光の粒子」が存在しているが、太陽系が存在する私たちの銀河には長大な光の粒子の帯が存在しているという説がある。これがフォトンベルト(光の粒子の帯)。
フォトンベルトはハレー彗星を発見したイギリスの天文学者エドムンド・ハレーが発見したといわれているが、現在では科学的根拠に乏しいとされ、その存在を疑問視する意見がほとんど。
アセンションはこのフォトンベルトが地球に衝突することで発生するといわれている。
太陽系は銀河の中を移動しているため、フォトンベルトが実在していると仮定すればいずれ両者は衝突することになる。
膨大な光の粒子の塊であるフォトンベルトはとても強いエネルギーを帯びているといわれているため、スピリチュアルの世界ではその衝突時に「何か」が起こると考えられている。
彼らはその起こり得る「何か」のことをアセンションと呼んでいる。
ここではアセンションが発生した際に起こるといわれている物理的な影響をご紹介する。
フォトンベルトやアセンションは科学的に認められていないため、物理的と言っていいのかは分からないけど。
アセンションが起こるとフォトンベルトに含まれる光の粒子の影響で、地球を取り巻く地磁気が消滅してしまうといわれている。これと同じことは過去の地球で何度も起こっており、地磁気を失った地球には宇宙から有害な宇宙線が降り注ぐことになった。
これは地球全体を巨大な電子レンジにかけるようなものであり、オルドビス紀後期に起こった地磁気の消滅では全生物種のおよそ85%が絶滅した。
もっともオルドビス紀に起こった大量絶滅の原因は太陽系近くの恒星が超新星爆発したことによる「ガンマ線バースト」であり、アセンションではない。
フォトンベルトに含まれる光の粒子に地磁気を消滅させるほどの影響力があると仮定すれば、すべての電子機器は使用不可能になり機械文明は完全にその機能を停止することになる。
通信や交通は遮断され、人類は混乱の中で滅亡することになるかもしれない。
もっとも機械文明が維持できたとしても有害な宇宙線により人類が生き残ることはないといわれている。
地磁気の消滅は大地震や大津波などの天変地異を引き起こすといわれている。
また、火山活動の活発化により巻き上げられた火山灰はやがて地球全体を覆い尽くし、氷河期のような状態にしてしまうかも知れない。地球は生物が暮らすには過酷すぎる死の星となってしまう。
現在の地球は生物が生きていく環境が整った奇跡の惑星であるといえる。