超常科学 -キリキリバサラ-

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    カテゴリ: 遺産

    ナスカの地上絵

    世界最大のオーパーツともいわれる「ナスカの地上絵」
    このナスカの地上絵は誰がいつ何のために描いたのだろう?
    今回はナスカの地上絵の詳細と描き方、存在理由について特に有力とされている説をご紹介する

    ⑩ナスカの地上絵最大の謎!何のために描かれたのか?

    人が目にするにはナスカの地上絵はあまりにも巨大なものだ。
    では、古代ナスカの人々は一体何のために1000近い地上絵を描いたのだろう?

    ここではナスカの地上絵が描かれた理由として特に有名な説をご紹介する。

    カレンダー説

    ナスカの地上絵を構成する線には意図的に太陽の動きや季節の変化に合わせたと思われるものが存在することがわかっている。
    そのためナスカの地上絵は農業をするためのカレンダーとして描かれたのではないかという説が存在する。
    カレンダー説
    確かに地上線の中には夏至冬至の日没の方角や、雨季乾季の星の動きを表しているものが存在している。しかし、カレンダーを全長数百メートル規模で描く必要はないため、この説には疑問が残る。

    雨乞い説

    ナスカの地上絵は一筆書きで書かれているため、雨乞いの儀式の際に道路として使われたのではないかという説も存在する。
    ナスカ地方では昔から雨乞いの際に楽器を鳴らしながら道を歩くという習慣があり、この道がナスカの地上絵だった可能性があるという。
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    ナスカの地上絵の線付近では雨乞いの儀式に使用される貝殻の破片が見つかっている。
    そのため雨乞いの儀式のために巨大な地上絵を描いたのではないかという説が生まれた。

    食料管理システム説

    古代ナスカでは食料などの財産はすべて個人単位で管理されていた。
    そのため食料が流通するシステムがなく飢饉が起こりやすい状況だった。
    この問題を解決するために古代ナスカの権力者たちはナスカの地上絵の制作という公共事業を作ったのではないかという説。
    労働者に支給するという建前で国中の食料を回収し、管理することで国が飢饉によって全滅することを防いだ。
    食料管理システム説
    公共事業は長期にわたる必要があったため必要以上に巨大な地上絵を描く必要があった。
    しかし、100メートル規模の地上絵であっても先述した原画拡大法を使えば数十人で数時間もあれば完成してしまうため、長期的な公共事業になることはなかったのではという疑問が残る。

    権力者の葬式説

    ナスカではピラミッドが発見されていることから、ナスカの地上絵も権力者の埋葬のために描かれたのではないかとする説。古代ナスカで信仰された宗教では、人は死後に太陽に還るとされている。
    権力者の葬式説
    そのため死んだ権力者を太陽へ導くため、もしくは死者へ贈るメッセージとしてナスカの地上絵が描かれたのではないかと考えられている。
    古代ナスカでは宗教的傾向が強かったため、この説は特に有力であるとされている。

    宇宙人のマーキング説

    ナスカの地上絵は当時の人々が目視できないものであったため、古代の地球に到来した宇宙人によって描かれたのではないかとする説。
    ナスカの地上絵がUFO(未確認飛行物体)の発着場なのではないかという意見は古くから存在しているのは皆さんもご存知だろう。
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    宇宙人が地球を訪れた際にマーキングとしてナスカの地上絵を描いたと考えるならば、全長50キロメートルにもなる矢印や200メートル以上の地上絵の書き方がわからないことにも、一応説明は付くことには付くが・・・。

    管理人:ニート神
    からのひとこと

    最大のオーパーツであるナスカの地上絵についてご紹介したよ
    ナスカの地上絵とは単なる宗教的な遺物なのか?
    それとも宇宙人が地球に訪れた証拠だったのだろうか?
    地球にはまだまだロマンが溢れているね

    色々あった数か月
    更新遅れてホントごめんね!
    また更新するよ!










    ナスカの地上絵

    世界最大のオーパーツともいわれる「ナスカの地上絵」
    このナスカの地上絵は誰がいつ何のために描いたのだろう?
    今回はナスカの地上絵の詳細と描き方、存在理由について特に有力とされている説をご紹介する

    ⑥ナスカの地上絵は誰が描いたのか?

    ナスカの地上絵が描かれた年代から、これらの絵は当時のナスカ市周辺で栄えていたナスカ文化時代の人々が描いたのではないかといわれている。
    古代ナスカの人々は狩りや農業を行ない自給自足の生活をしており、宗教を非常に重んじていたことがわかる。
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    現地からはナスカ文化のものとみられる着色済みの土器が数多く出土しており、そのほとんどは地上絵と同じく動物をモチーフにしていた。
    この事実も彼らがナスカの地上絵を描いた証拠のひとつであるとされている。

    ⑦ナスカの地上絵の近くにはピラミッドも存在する?

    ナスカの地上絵が広がるパンパ=コロラダから南へ500メートルほど離れた砂漠地帯に30以上の巨大なピラミッドが存在していることがわかっている。
    この「ナスカのピラミッド」もナスカ文化時代の人々が建設したと考えられており、世界最古のピラミッドである可能性もあるといわれている。
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    ナスカ文化では階級制度は存在したが、古代エジプトのように奴隷は存在していなかった。
    そのため30を超える巨大ピラミッドを一体どのようにして建設したのかは現在でも謎とされている。

    ⑧ナスカの地上絵の描き方は?

    ナスカ文化時代の人々はどのようにしてこのような巨大な絵を描くことができたのだろう?
    実はナスカの地上絵の描き方はいくつかの方法ですでに再現することができている。
    ここではナスカの地上絵の描き方についてご紹介する。

    種まき応用法

    ナスカでは現在でも地上絵の作成が行われており、その際に用いられる方法がこの「種まき応用法」。この方法では絵を描く際に複数の人間が横並びになって歩幅を合わせながら前進していく。
    そしてこの歩幅によって距離を測定しながら均等に地上絵を描いていく方法だ。
    種まき応用法
    この方法は全長50メートルほどの地上絵を手軽(?)に描くことができるがそれ以上大きな絵を描くことには適していない。
    50メートル以上の地上絵を描く際には次の「原画拡大法」が用いられたと考えられている。

    原画拡大法

    原画拡大法とは最初に地上絵のモデルとなる絵を描き、それを元にさらに大きな絵を描いていく方法。モデルの絵には支点となる木棒を打ち込み、拡大したい長さの紐と絵を描くためのもうひとつの木棒を取り付ける。これによってモデルの絵と全く同じ線を拡大して描くことが可能となる。原画拡大法
    現在ではこの原画拡大法によるナスカの地上絵の再現を算数の授業に取り入れている小学校もあり、この方法を用いれば子どもだけでも巨大な地上絵が描けることが証明されている。

    しかし、原画拡大法は紐を真っ直ぐ張った状態でなければ描写できないため、この方法によって描くことができる地上絵は最大でも200メートルが限界であると考えられている。
    200メートルを超える地上絵については現在でも詳しい描き方がわかっていない。

    ⑨ナスカの地上絵は消えないって本当?

    ナスカの地上絵は単なる地上に引かれた線であるにも関わらず、描かれてから1400年~2200年経過した現在でも消えずに存在し続けている。
    そのためナスカの地上絵はオカルト的な何らかの理由により消えないのではないかという噂もあるよう
    ナスカの地上絵は消えない
    先述したとおりナスカの地上絵は、雨が少なく水はけの良い地層の上に描かれたため、数千年の長きにわたって消えずに残ることができた。
    しかし、現実的な問題としてナスカの地上絵は日々消えていっていることがわかっている。

    1994年に世界遺産に登録されて以降、ナスカの地上絵には世界中から多くの観光客が訪れるようになった。歩行による絵の消耗を防ぐために観光客は特殊な靴を履くことが義務付けられている。
    しかし、このままではナスカの地上絵の保存は非常に困難であると言わざるを得ない状況だ。

    Part3へ続く「ナスカの地上絵の描き方そして存在の意味 Part3

    ナスカの地上絵

    世界最大のオーパーツともいわれる「ナスカの地上絵」
    このナスカの地上絵は誰がいつ何のために描いたのだろう?
    今回はナスカの地上絵の詳細と描き方、存在理由について特に有力とされている説をご紹介する

    ①ナスカの地上絵とは?

    ナスカの地上絵とは、ペルー共和国の乾燥地帯に描かれている巨大な地上絵。
    これらの絵は乾燥した地面の上の小石を取り除き、白い大地を露出させることで描かれている。
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    ナスカの地上絵はあまりに巨大であることから地上から全貌を確認することはできず
    飛行機などに乗ってある程度の高度に達しなければ何が描かれているか判断できない。
    1939年にアメリカの考古学者ポール・コソックによって発見されて以降、新しい絵が次々に見つかっているが、このような絵が何故描かれたかは現在でも謎とされている。

    ②ナスカの地上絵の場所は?

    ナスカの地上絵はペルー共和国のパンパ=コロラダと呼ばれる盆地に描かれている。
    パンパ=コロラダはペルーの南海岸とアンデス山脈のあいだに位置しており、小石が地面を埋め尽くす乾燥地帯。
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    この場所は年間を通して雨が少なく水はけも良い地層であったため、非常に長い期間ナスカの地上絵を保存することができた。
    ナスカの地上絵を描いた人々はこのような場所の特性を活かし、後世にまでこれらの絵を残そうとした。

    ③ナスカの地上絵の種類は?

    地上絵には動物が描かれているものが多く、その種類もサルやヒトなどの哺乳類から鳥類、爬虫類、魚類と多岐にわたる。
    中には何の動物を描いているのか判断が難しいものもあるが、基本的には実在の生物がモデルであると考えられている。
    ナスカの地上絵の種類
    生物ではない模様や矢印のような絵に至っては700種類以上が確認されており、これらが何を意味していたのかは解明されていない。
    ナスカの地上絵を構成する直線の数は1万を超えているといわれている。

    ④ナスカの地上絵の大きさは?

    ナスカの地上絵の大きさは一定ではなく描かれるものによってそれぞれ違うが、どれも絵としては規格外の大きさ。
    最も有名な「ハチドリ」は全長が96メートルと巨大で、同じく有名な「サル」の絵も55メートルを超えている。
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    最も大きな地上絵はペリカンのような鳥を描いたもので、全長は285メートルにも達した。
    また、これらを構成する地上線の幅は最大で60センチメートルもある。
    絵ではないが、人工的に描かれた矢印のような模様も確認されており、その長さは50キロメートルにも及ぶ巨大なもの。
    このように巨大な絵や矢印は航空技術の存在しなかった当時の人々には全体像を把握することのできないものだった。

    ⑤ナスカの地上絵はいつ頃描かれたのか?

    ナスカの地上線には絵を描くために用いたとみられる木棒が残されているものがある。
    この木棒による年代測定の結果、ナスカの地上絵は今から1400年~2200年前頃のナスカ文化時代に描かれたことがわかっている。
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    驚くことに地上に引かれた線でしかないナスカの地上絵は、数千年にわたって消えずに存在していたことになる。

    Part2へ続く「ナスカの地上絵の描き方そして存在の意味 Part2

    ボマルツォ怪物公園

    世界には美しい光景もあれば、見るだけで奈落の底に突き落とされる絶望的な風景もある。
    大量虐殺が起きた現場、幽霊が出ると曰く付きの物件、廃墟と化した街、自殺の名所・・・。
    健康被害をもたらす汚染地帯、秘密の実験に使われていた島・・・など
    世界には数え切れないほど存在している。
    今回はそんな衝撃的で不気味な場所を取り上げたので紹介しよう。
    ちなみに今回は何となく敬語ではない。

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    点在する場所、そして建造理由とは

    イタリア中部、ウンブリア州のマルツォという名の知れない町に、世界でも有数の奇妙な公園がある。
    恐ろしい形相をした怪物のモニュメントが敷地いっぱいに点在しているところから「怪物公園」と呼ばれている観光スポットだ。

    公園が探勝したのは1552年のこと。当時、この地帯を治めていた貴族「オルシーニ・フランチェスコ王子」が最愛の妻を亡くし悲しみに打ちひしがれている中、その苦痛から解放されるために設立したという。

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    誰が建造した?

    王子が設計を依頼したのは、ルネサンスを代表する建築家「ピッロ・リゴーリオ」その人だ。
    イタリア貴族の邸宅や別荘を多く設計、イタリア式庭園のスタイルを確立させたと言われる世界的、歴史的に有名な人物であり、ミケランジェロの死後、サンピエトロ寺院の建設を引き継いだのもリゴーリオだ。
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    そんな大建築家が造ったにもかかわらず、フランチェスコ王子の死後、この庭園のことは忘れ去られてしまう。しかし、約400年後の1954年、一人のイタリア人がこの土地を購入し、懇切丁寧に修復したおかげで。公園の怪物たちは眠りから目覚めたのである。

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    管理人:ニート神
    からのひとこと 

    訪れたらいつの間にか、別世界にいた。なんてありそうな場所
    ボマルツォ怪物公園の写真は他にもネット上にたくさんあるので、見てみると面白い
    ツアーもあるみたいで、入園料は10ユーロ(日本円で1200円ほど)
    意外と高い



     

    —リトアニアの「十字架の丘」について—

    十字架クリージュ・カァルナス)の詳細

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    「十字架の丘」とは、リトアニア北部の都市シャウレイから北方約12キロの地点に位置する、無数の十字架が立てられたカトリック教会の巡礼地のことである。
    この地に初めて十字架が立てられたのは、1830年から1831年頃にかけて、ポーランドとリトアニアにて発生した11月蜂起の後だと考えられており、現在では合計で約50,000個以上もの十字架が無造作に立てられている。
    2001年には、ユネスコの無形文化遺産において、「リトアニアの十字架の手工芸とその象徴」として掲載されており、現在ではリトアニアを代表する観光地の一つとして広く知られている。
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    「十字架の丘」とは?

    「十字架の丘」とは、リトアニア北部の都市シャウレイから北方約12キロの地点に位置する、無数の十字架が立てられたカトリック教会の巡礼地のことである。この「カトリック教会」とは、ローマ教皇を中心として全世界に約12億人以上もの信徒を有する、キリスト教では最大の教派のことである。

    この地に初めて十字架が立てられたのは、1830年から1831年頃にかけて、ポーランドとリトアニアにて発生した11月蜂起の後だと考えられている。この11月蜂起における、多くの犠牲者を追悼する目的から、この地に遺族が十字架を立てたことが始まりだとされている。

    現在では合計で約50,000個以上もの十字架が無造作に立てられており、この地を訪れる巡礼者によって数多くのイエス・キリストの像やマリア像、ロザリオなどが置かれたままとなっている。1993年9月7日には、教皇のヨハネ・パウロ2世がこの地を訪れており、この地が「希望と平和、愛、そして、多くの犠牲者のための場所」であると述べている。

    2001年には、ユネスコの無形文化遺産において、「リトアニアの十字架の手工芸とその象徴」として掲載されており、現在ではリトアニアを代表する観光地の一つとして広く知られている。またこの地には誰でも自由に出入りすることが可能となっており、好きな場所に十字架を立てることが許されている。



    参考画像

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    関連動画



    管理人:ニート神
    からのひとこと

    初めて十字架の丘の写真を見たとき、すげぇ!!!!と思ったのと同時に
    Fate/stay night」のアンリミテッドブレイドワークスが浮かんだ。
    一度行って見たいですね。 

     
     

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