古代遺跡
もう知り得ることのできない古代を深く考える時、遺跡が歴史と現人類とを繋いでくれる。
しかし歴史の中で失われた情報、そして追加された情報、改竄、ねつ造された情報、さまざまな事象が重なり、いつしか謎となってしまったことも世界には数多ある。
今回はその中から7つの不思議として、少し変わった遺跡などにまつわる話を紹介しよう。
①ジャームのミナレット
アフガニスタンの奥地の山岳地帯に突如と高く真っ直ぐに60mの塔がそびえ立つ。
この塔は『ジャームのミナレット』と呼ばれる。
このレンガ造りの塔の側面には古代イスラムのカリグラフィーや幾何学模様が繊細に彫り込まれており、所々鮮やかなターコイズブルーのタイルで彩られ、非常に美しく、優美な姿をしている。
この塔は、約800年前に当時この一帯を支配していたゴール朝によって建てられたとされている。
その目的などは不明だが、歴史上の謎の一つに繋がる鍵を握る重要な建築物であると言われている。
ゴール朝とは12世紀後期~13世紀前期にガズナ朝を略奪したアラー・ウッディーン・ムハンマドによって建てられた王朝で、アフガニスタン、現在のイラン、パキスタン、インド地域を支配する巨大勢力だった。
その時代にフィロッコ、別名ターコイズマウンテンと呼ばれる都市が存在したという。
フィロッコは、ユダヤ教徒、キリスト教徒、ムスリム教徒が平和に共存していた素晴らしい都市だったと言われている。
しかし、その後ゴール朝は分裂により勢力をなくし、消滅。それに伴い素晴らしい都市、フィロッコの場所も不明となり、長年人々の好奇心を刺激してきたのである。
『ジャームのミナレット』は、そのフィロッコが存在していた証明になるのではないかという説が根強く残っている。これは、アフガニスタンの容易には到達できない場所に建てられたことも、理由のひとつだろう。また、8世紀もの間アフガニスタンという、地震も水害も多く、乾燥や猛暑に曝されるこの土地で、誰にも知られずに残っていたという事実だけを切り取っても非常に好奇心を刺激するミステリアスな塔である。
現在『ジャームのミナレット』はユネスコの世界遺産としても登録されたが、水害などによる劣化が激しく、危機にある遺産として認定されている。伝説の都市を明かすきっかけになる可能性がある塔が、今度は歴史の中に姿を消してしまう、ということにならないことを祈りたい。
②エメラルド・タブレット
画像(想像)
錬金術ファンにとっては好奇心をかき立てられてしょうがないのが
錬金術の基本思想(あるいは奥義)が、記されたといわれる板、エメラルド・タブレットだと思う。
このタブレットは存在さえ確認されたことがなく、どの様なものであったかさえ定かではない。
現存するのはいずれもその翻訳とされる文章のみ
だが、そこには錬金術の神髄である『賢者の石』(卑金属を金に変える際に使用する触媒)に関する記述があると言われ、長年錬金術ファンの間で議論が交わされてきた。
最初にエメラルド・タブレットが確認されたのは6世紀~8世紀のことだった。
元々このタブレットは古代シリア語で書かれていたが、まずアラビア語に翻訳されたという。その後も多くのものがその存在に魅了され、日本語を含む多言語に翻訳し、錬金術の奥義をつかむべく、その謎の解明に挑んできたとされる。その中には、かのアイザック・ニュートンもいたと伝わっている。
実態が確認されたことがないため、現在までに様々な噂や説が語られている。その起源についても、所見によっては1200年前、または3800年前などと大きな開きがある。しかし比較的統一されている情報としては、発見されたのはエジプトのピラミッドの隠し部屋内だということ、伝説的な錬金術師・ヘルメス・トリストギメスが関わっているということ、そしてこれが世界最古の書籍であるということだ。
エメラルド・タブレットには、錬金術の基本原理とされる『As above, so below』(下のものは上のもののごとく、上のものは下のもののごとし)と、記されているという。この板の意味を理解することができれば、『賢者の石』の錬成に成功した後に錬金術の真髄に辿り着けるのかもしれない。
③アンティキティラ島の機械
沈没船から発見された古代のものがその頃にはあるはずのない技術を備えていた。
そんなSF映画のような話が現実にも起こったことがある。
それが、『アンティキティラ島の機械』と呼ばれる銅版だ。
この銅版は約2000年前のギリシャの沈没船の中から見つかった。
銅版には、連動して動くからくりが仕込まれている。発見当初は船の中で見つかったということもあり、航海のために使用されていたナビゲーターではないかと思われていたが、後の研究により、この機械は実は非常に精巧な天体カレンダーとしての機能を持っているということが判明している。
また内部をエックス線で透視したところ、多数のギアの存在する複雑な構造をしていることが確認され、他にもまだ解明されていない機能を秘めている可能性もあるという。
もちろん、2000年前にはこの様な技術は存在していなかった。
あまりにも卓越した技術と精巧性を持っているため、世界最古のアナログコンピューターと言われることもあるほどだ。
誰が何のために作り、どの様に使用していたかは謎に包まれたままである。
しかし非常に優秀な人間が丁寧に作ったことは間違いない。その様な技能を持った人たちが何を考え、どの様に作ったのか、またどの様な社会で使用されていたのか、古代ロマンへの想像が膨らむ。
④ドロパストーン
1938年に中国、バヤンカラ山脈を調査目的で訪れていたチャイ・プー・テイ博士がとある洞窟を発見した。中に入って様子を見てみると、どうも以前に文明が存在し、人々が住んでいたような形跡が発見された。
そしてさらに先に進んでみると、通常よりも大きな頭蓋骨と共に、石で出来た716個もの大量の円盤が転がっていたという。
円盤はそれぞれ直径30㎝ほどで、真ん中に穴が開いている。
そして円盤には穴を囲むかのように2重の溝が掘られ、その溝の間にヒエログリフのような文字が描かれていた。その後の調べで、この円盤は10,000年~12,000年前のものであるという結論が出される。
そして、調査ではだんだんと他にも信じられないようなことが明かされていった。
それはこのヒエログリフのような文字を解読してみると、地球外生命体の乗った飛行物が故障し、その地に墜落した、ということが克明に記録されていたのである。
そして自分たちのことを『ドロパ』と呼んだ地球外生命体はその洞窟に住みつき、その後も子孫がそこで暮らしているというのである。
これらの衝撃的な話は、オックスフォード大学教授・カーリー・ロビン・エヴァンスと名乗る人物が、『Sungods in Exile』という本で紹介したことから、世界中を駆け巡った。
だが、話が広がると共に、事実ではないのではないか、という疑惑もついて回る。
なぜならば、1938年に行われたという調査の記録もなければ、実際の円盤は確認が取れず、唯一証拠となるものといえば写真のみ。ハッキリとした証拠となるものは何ひとつもなかったのだ。
その後、1988年には本の作者であるデビット・アゴモンが『Sungods in Exile』に関してはエヴァンス教授の存在も全て自分の作り話だったと白状し、疑惑はさらに高まった。
しかし、地球外生命体の存在を信じるものの間ではいまだにこの円盤はUFOであったという声もあり、ドロパストーンの真意についての議論はまだ続いている。
⑤イカの石(カブレラ・ストーン)
1961年、ペルーの内科医、カブレラ博士は42歳の誕生日に友人から小さな箱に入ったプレゼントをもらった。その箱を開けてみると、複数の石が入っており、その中の一つに絶滅種とされる魚が彫られていたという。このことに感動した博士は、コレクションを開始し、76年にカブレラ教授は『イカの石に刻まれたメッセージ』という本を出版。その中では「地球上にかつて存在した高度に発達した文明が、石の表面にその発展の歴史を記し、何らかの世界規模のカタストロフィが起こる前に石を残して地球を去った」という仮説を示した。
これらの石は500年~1500年前のものとされ、模様を見てみるとインカ文明にはよく見られた性描写、そして心臓手術や、脳移植、また恐竜と人間が共存しているかのような模様などがクッキリと彫られていた。
もし、この様な様子がインカ帝国で見られていたとしたら、今までの歴史の解釈を覆す大きな発見であったことは間違いない。
博士の発表後、この石は世界中で話題になった。だが、お金になるのであれば、とマネして偽物を作って売るものが現れ、しまいには偽物の偽物までが現れるなど、場は混乱し始め、さらには彫られたイメージの真偽についても論争が起こる。
また、恐竜と人間が共存していたことはないという定説を覆すような内容は嘲笑の対象となったが、共存説を信じるものからは証拠が見つかったという声も上がっていた。
結局、偽物を作ったと白状した農夫が逮捕され、作り話であり、彫られたイメージもでたらめだという結論に達している。だが、当初カブレラ博士が集めていた「イカの石」の真偽については、確証が得られていない。
⑥ジョージア・ガイドストーン
ジョージア・ガイドストーンは、アメリカのストーンヘッジと呼ばれる、謎に満ちた4つの巨大石から成るモニュメントである。だが、ストーンヘンジのように古代の遺跡というわけではなく、こちらは1979年に謎の男、R.C.クリスチャンから建設の依頼を請けた会社がジョージア州に建てたものである。
このR.C.クリスチャンという男は身元をハッキリ明かさず、『ロイヤル・アメリカン』という団体のものだとするだけで、名前も本名ではなかったようである。
その後、この石像の謎を聞き出すために探偵を雇うなど様々な方法で依頼主の消息を追ったが、見つかることはなかった。
このガイドストーンには新世界秩序の10戒が8か国語 (英語、スペイン語、スワヒリ語、ヘブライ語、ヒンズー語、アラビア語、中国語、ロシア語)で刻まれている。そしてこの石の並び方も天体の動きと共鳴するように作られていると言われ、いかにも深い意味がありげな作りになっている。
この10戒の内容は、現在の世界のあり方を変えようというものなのだが、一番インパクトが大きいのは現在60億人いる世界人口を調和のために5億人に削減しようというものだろう。このような内容が8か国語で記されているとなると、陰謀説の存在がちらつくようでもある。
この謎めいた存在は人々の興味を引き付け、現在このガイドストーンは観光地化している。
しかし、その一方で10戒に賛成しない人たちがしたと見られる反対を説く落書きが所々に書き込まれ、建設当初と景観が変わってきているところもある。
依頼主不明、謎に包まれた石像は意味深な存在感を放ち、今日もアメリカの地に立っている。
⑦古代文明の死体処理場
現在のボリビアに当たる地域では、1世紀頃にアンデス川を中心として文明が栄えていた。
この文明にはあまり知られていない奇妙な風習があったことが、遺跡から判明した。
2005年~2007年に掛けてチチカカ湖周辺で行われていた発掘調査によって存在が判明したこの遺跡は、当初は単純に住居跡だと考えられていた。
そのため発掘調査に当たっていたアメリカ、フランクリン&マーシャル大学のスミス教授を始めとする調査チームは食器や調理器具などが見つかるだろうという見通しだったのだが、実際に掘り出されたのは、25人分はあるだろう細かい人骨だった。
住居だと思われていたこの部屋では一体何が行われていたのだろう。
この骨を詳しく調べていく過程で、部屋の目的がハッキリと見えてきた。
これらの骨には化学物質がついており、それを温めて水と混ぜると、脂肪や体の組織を溶かす物質になるということが判明したのだ。つまり、古代ボリビアの人たちはこの部屋で人体を溶かしていたと考えられるのである。
骨をさらに調べてみると、この遺跡で溶かされていたのは地元の人たちではなく、立ち寄った移動民族のものであるということもわかった。移動しながら生活する人々は、荷物を最小限に抑える必要があるが、亡くなってしまった近しい人を近くに感じるために、肉を溶かし、骨の状態で持ち歩いて一緒に旅を続けていたのであろう。
今回見つかった遺跡によって、生と死の境があまりなく、人の姿は変わっても、関係性はそのまま続くという、古代の人々の死生観がよくわかる結果となった。
古代遺跡やオーパーツを7つ紹介
その中には古代ロマンを求めるあまり生まれた、少しきな臭い謎もあれば
もう答えを知り得ることのない謎、そして調査により解決された謎など、様々なものがある。
共通して言えるのは、過去は人々の好奇心と探究心を強く刺激するということ
私たちが住む現代もいつか古代となっていく。
未来の世界に私たちはどのような謎を残し、どの様な刺激を与えるのだろう?