超常科学 -キリキリバサラ-

はじめまして、管理人のニート神です。 「超常科学キリキリバサラ」ではオカルト好きな皆さんに有益な情報を提供したいと思い立ち上げました。 オカルトに縁がない方も、これからオカルトが好きになってくれるような記事をまとめ、書いていきたいです! よければコメントもよろしくお願いします。lineで購読できます。

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    カテゴリ: 遺産

    古代遺跡

    もう知り得ることのできない古代を深く考える時、遺跡が歴史と現人類とを繋いでくれる。
    しかし歴史の中で失われた情報、そして追加された情報、改竄、ねつ造された情報、さまざまな事象が重なり、いつしか謎となってしまったことも世界には数多ある。
    今回はその中から7つの不思議として、少し変わった遺跡などにまつわる話を紹介しよう。

    ①ジャームのミナレット

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    アフガニスタンの奥地の山岳地帯に突如と高く真っ直ぐに60mの塔がそびえ立つ。
    この塔は『ジャームのミナレット』と呼ばれる。
    このレンガ造りの塔の側面には古代イスラムのカリグラフィーや幾何学模様が繊細に彫り込まれており、所々鮮やかなターコイズブルーのタイルで彩られ、非常に美しく、優美な姿をしている。

    この塔は、約800年前に当時この一帯を支配していたゴール朝によって建てられたとされている。
    その目的などは不明だが、歴史上の謎の一つに繋がる鍵を握る重要な建築物であると言われている。

    ゴール朝とは12世紀後期~13世紀前期にガズナ朝を略奪したアラー・ウッディーン・ムハンマドによって建てられた王朝で、アフガニスタン、現在のイラン、パキスタン、インド地域を支配する巨大勢力だった。
    その時代にフィロッコ、別名ターコイズマウンテンと呼ばれる都市が存在したという。
    フィロッコは、ユダヤ教徒、キリスト教徒、ムスリム教徒が平和に共存していた素晴らしい都市だったと言われている。
    しかし、その後ゴール朝は分裂により勢力をなくし、消滅。それに伴い素晴らしい都市、フィロッコの場所も不明となり、長年人々の好奇心を刺激してきたのである。

    『ジャームのミナレット』は、そのフィロッコが存在していた証明になるのではないかという説が根強く残っている。これは、アフガニスタンの容易には到達できない場所に建てられたことも、理由のひとつだろう。また、8世紀もの間アフガニスタンという、地震も水害も多く、乾燥や猛暑に曝されるこの土地で、誰にも知られずに残っていたという事実だけを切り取っても非常に好奇心を刺激するミステリアスな塔である。

     現在『ジャームのミナレット』はユネスコの世界遺産としても登録されたが、水害などによる劣化が激しく、危機にある遺産として認定されている。伝説の都市を明かすきっかけになる可能性がある塔が、今度は歴史の中に姿を消してしまう、ということにならないことを祈りたい。

    ②エメラルド・タブレット


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    錬金術ファンにとっては好奇心をかき立てられてしょうがないのが
    錬金術の基本思想(あるいは奥義)が、記されたといわれる板、エメラルド・タブレットだと思う。
    このタブレットは存在さえ確認されたことがなく、どの様なものであったかさえ定かではない。
    現存するのはいずれもその翻訳とされる文章のみ
    だが、そこには錬金術の神髄である『賢者の石』(卑金属を金に変える際に使用する触媒)に関する記述があると言われ、長年錬金術ファンの間で議論が交わされてきた。

    最初にエメラルド・タブレットが確認されたのは6世紀~8世紀のことだった。
    元々このタブレットは古代シリア語で書かれていたが、まずアラビア語に翻訳されたという。その後も多くのものがその存在に魅了され、日本語を含む多言語に翻訳し、錬金術の奥義をつかむべく、その謎の解明に挑んできたとされる。その中には、かのアイザック・ニュートンもいたと伝わっている。

    実態が確認されたことがないため、現在までに様々な噂や説が語られている。その起源についても、所見によっては1200年前、または3800年前などと大きな開きがある。しかし比較的統一されている情報としては、発見されたのはエジプトピラミッドの隠し部屋内だということ、伝説的な錬金術師・ヘルメス・トリストギメスが関わっているということ、そしてこれが世界最古の書籍であるということだ。

    エメラルド・タブレットには、錬金術の基本原理とされる『As above, so below』(下のものは上のもののごとく、上のものは下のもののごとし)と、記されているという。この板の意味を理解することができれば、『賢者の石』の錬成に成功した後に錬金術の真髄に辿り着けるのかもしれない。

    ③アンティキティラ島の機械

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    沈没船から発見された古代のものがその頃にはあるはずのない技術を備えていた。
    そんなSF映画のような話が現実にも起こったことがある。
    それが、『アンティキティラ島の機械』と呼ばれる銅版だ。
     
    この銅版は約2000年前のギリシャの沈没船の中から見つかった。
    銅版には、連動して動くからくりが仕込まれている。発見当初は船の中で見つかったということもあり、航海のために使用されていたナビゲーターではないかと思われていたが、後の研究により、この機械は実は非常に精巧な天体カレンダーとしての機能を持っているということが判明している。
    また内部をエックス線で透視したところ、多数のギアの存在する複雑な構造をしていることが確認され、他にもまだ解明されていない機能を秘めている可能性もあるという。

    もちろん、2000年前にはこの様な技術は存在していなかった。
    あまりにも卓越した技術と精巧性を持っているため、世界最古のアナログコンピューターと言われることもあるほどだ。

    誰が何のために作り、どの様に使用していたかは謎に包まれたままである。
    しかし非常に優秀な人間が丁寧に作ったことは間違いない。その様な技能を持った人たちが何を考え、どの様に作ったのか、またどの様な社会で使用されていたのか、古代ロマンへの想像が膨らむ。

    ④ドロパストーン

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    1938年に中国、バヤンカラ山脈を調査目的で訪れていたチャイ・プー・テイ博士がとある洞窟を発見した。中に入って様子を見てみると、どうも以前に文明が存在し、人々が住んでいたような形跡が発見された。
    そしてさらに先に進んでみると、通常よりも大きな頭蓋骨と共に、石で出来た716個もの大量の円盤が転がっていたという。

    円盤はそれぞれ直径30㎝ほどで、真ん中に穴が開いている。
    そして円盤には穴を囲むかのように2重の溝が掘られ、その溝の間にヒエログリフのような文字が描かれていた。その後の調べで、この円盤は10,000年~12,000年前のものであるという結論が出される。
     
    そして、調査ではだんだんと他にも信じられないようなことが明かされていった。
    それはこのヒエログリフのような文字を解読してみると、地球外生命体の乗った飛行物が故障し、その地に墜落した、ということが克明に記録されていたのである。
    そして自分たちのことを『ドロパ』と呼んだ地球外生命体はその洞窟に住みつき、その後も子孫がそこで暮らしているというのである。

    これらの衝撃的な話は、オックスフォード大学教授・カーリー・ロビン・エヴァンスと名乗る人物が、『Sungods in Exile』という本で紹介したことから、世界中を駆け巡った。
    だが、話が広がると共に、事実ではないのではないか、という疑惑もついて回る。
    なぜならば、1938年に行われたという調査の記録もなければ、実際の円盤は確認が取れず、唯一証拠となるものといえば写真のみ。ハッキリとした証拠となるものは何ひとつもなかったのだ。

    その後、1988年には本の作者であるデビット・アゴモンが『Sungods in Exile』に関してはエヴァンス教授の存在も全て自分の作り話だったと白状し、疑惑はさらに高まった。

    しかし、地球外生命体の存在を信じるものの間ではいまだにこの円盤はUFOであったという声もあり、ドロパストーンの真意についての議論はまだ続いている。

    ⑤イカの石(カブレラ・ストーン)

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    1961年、ペルーの内科医、カブレラ博士は42歳の誕生日に友人から小さな箱に入ったプレゼントをもらった。その箱を開けてみると、複数の石が入っており、その中の一つに絶滅種とされる魚が彫られていたという。このことに感動した博士は、コレクションを開始し、76年にカブレラ教授は『イカの石に刻まれたメッセージ』という本を出版。その中では「地球上にかつて存在した高度に発達した文明が、石の表面にその発展の歴史を記し、何らかの世界規模のカタストロフィが起こる前に石を残して地球を去った」という仮説を示した。

    これらの石は500年~1500年前のものとされ、模様を見てみるとインカ文明にはよく見られた性描写、そして心臓手術や、脳移植、また恐竜と人間が共存しているかのような模様などがクッキリと彫られていた。
    もし、この様な様子がインカ帝国で見られていたとしたら、今までの歴史の解釈を覆す大きな発見であったことは間違いない。

    博士の発表後、この石は世界中で話題になった。だが、お金になるのであれば、とマネして偽物を作って売るものが現れ、しまいには偽物の偽物までが現れるなど、場は混乱し始め、さらには彫られたイメージの真偽についても論争が起こる。
    また、恐竜と人間が共存していたことはないという定説を覆すような内容は嘲笑の対象となったが、共存説を信じるものからは証拠が見つかったという声も上がっていた。

    結局、偽物を作ったと白状した農夫が逮捕され、作り話であり、彫られたイメージもでたらめだという結論に達している。だが、当初カブレラ博士が集めていた「イカの石」の真偽については、確証が得られていない。

    ⑥ジョージア・ガイドストーン

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    ジョージア・ガイドストーンは、アメリカのストーンヘッジと呼ばれる、謎に満ちた4つの巨大石から成るモニュメントである。だが、ストーンヘンジのように古代遺跡というわけではなく、こちらは1979年に謎の男、R.C.クリスチャンから建設の依頼を請けた会社がジョージア州に建てたものである。

    このR.C.クリスチャンという男は身元をハッキリ明かさず、『ロイヤル・アメリカン』という団体のものだとするだけで、名前も本名ではなかったようである。
    その後、この石像の謎を聞き出すために探偵を雇うなど様々な方法で依頼主の消息を追ったが、見つかることはなかった。

    このガイドストーンには新世界秩序10戒が8か国語 (英語、スペイン語、スワヒリ語、ヘブライ語、ヒンズー語、アラビア語、中国語、ロシア語)で刻まれている。そしてこの石の並び方も天体の動きと共鳴するように作られていると言われ、いかにも深い意味がありげな作りになっている。

    この10戒の内容は、現在の世界のあり方を変えようというものなのだが、一番インパクトが大きいのは現在60億人いる世界人口を調和のために5億人に削減しようというものだろう。このような内容が8か国語で記されているとなると、陰謀説の存在がちらつくようでもある。

    この謎めいた存在は人々の興味を引き付け、現在このガイドストーンは観光地化している。
    しかし、その一方で10戒に賛成しない人たちがしたと見られる反対を説く落書きが所々に書き込まれ、建設当初と景観が変わってきているところもある。
     
    依頼主不明、謎に包まれた石像は意味深な存在感を放ち、今日もアメリカの地に立っている。

    ⑦古代文明の死体処理場

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    現在のボリビアに当たる地域では、1世紀頃にアンデス川を中心として文明が栄えていた。
    この文明にはあまり知られていない奇妙な風習があったことが、遺跡から判明した。

    2005年~2007年に掛けてチチカカ湖周辺で行われていた発掘調査によって存在が判明したこの遺跡は、当初は単純に住居跡だと考えられていた。
    そのため発掘調査に当たっていたアメリカ、フランクリン&マーシャル大学のスミス教授を始めとする調査チームは食器や調理器具などが見つかるだろうという見通しだったのだが、実際に掘り出されたのは、25人分はあるだろう細かい人骨だった。

    住居だと思われていたこの部屋では一体何が行われていたのだろう。
    この骨を詳しく調べていく過程で、部屋の目的がハッキリと見えてきた。

    これらの骨には化学物質がついており、それを温めて水と混ぜると、脂肪や体の組織を溶かす物質になるということが判明したのだ。つまり、古代ボリビアの人たちはこの部屋で人体を溶かしていたと考えられるのである。

    骨をさらに調べてみると、この遺跡で溶かされていたのは地元の人たちではなく、立ち寄った移動民族のものであるということもわかった。移動しながら生活する人々は、荷物を最小限に抑える必要があるが、亡くなってしまった近しい人を近くに感じるために、肉を溶かし、骨の状態で持ち歩いて一緒に旅を続けていたのであろう。

    今回見つかった遺跡によって、生と死の境があまりなく、人の姿は変わっても、関係性はそのまま続くという、古代の人々の死生観がよくわかる結果となった。


    古代遺跡やオーパーツ
    を7つ紹介
    その中には古代ロマンを求めるあまり生まれた、少しきな臭い謎もあれば
    もう答えを知り得ることのない謎、そして調査により解決された謎など、様々なものがある。
    共通して言えるのは、過去は人々の好奇心と探究心を強く刺激するということ
    私たちが住む現代もいつか古代となっていく。
    未来の世界に私たちはどのような謎を残し、どの様な刺激を与えるのだろう?

    管理人:ニート神
    からのひとこと

    次回
    To Be Determined



    ナスカの地上絵

    世界最大のオーパーツともいわれる「ナスカの地上絵」
    このナスカの地上絵は誰がいつ何のために描いたのだろう?
    今回はナスカの地上絵の詳細と描き方、存在理由について特に有力とされている説をご紹介する

    ⑩ナスカの地上絵最大の謎!何のために描かれたのか?

    人が目にするにはナスカの地上絵はあまりにも巨大なものだ。
    では、古代ナスカの人々は一体何のために1000近い地上絵を描いたのだろう?

    ここではナスカの地上絵が描かれた理由として特に有名な説をご紹介する。

    カレンダー説

    ナスカの地上絵を構成する線には意図的に太陽の動きや季節の変化に合わせたと思われるものが存在することがわかっている。
    そのためナスカの地上絵は農業をするためのカレンダーとして描かれたのではないかという説が存在する。
    カレンダー説
    確かに地上線の中には夏至冬至の日没の方角や、雨季乾季の星の動きを表しているものが存在している。しかし、カレンダーを全長数百メートル規模で描く必要はないため、この説には疑問が残る。

    雨乞い説

    ナスカの地上絵は一筆書きで書かれているため、雨乞いの儀式の際に道路として使われたのではないかという説も存在する。
    ナスカ地方では昔から雨乞いの際に楽器を鳴らしながら道を歩くという習慣があり、この道がナスカの地上絵だった可能性があるという。
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    ナスカの地上絵の線付近では雨乞いの儀式に使用される貝殻の破片が見つかっている。
    そのため雨乞いの儀式のために巨大な地上絵を描いたのではないかという説が生まれた。

    食料管理システム説

    古代ナスカでは食料などの財産はすべて個人単位で管理されていた。
    そのため食料が流通するシステムがなく飢饉が起こりやすい状況だった。
    この問題を解決するために古代ナスカの権力者たちはナスカの地上絵の制作という公共事業を作ったのではないかという説。
    労働者に支給するという建前で国中の食料を回収し、管理することで国が飢饉によって全滅することを防いだ。
    食料管理システム説
    公共事業は長期にわたる必要があったため必要以上に巨大な地上絵を描く必要があった。
    しかし、100メートル規模の地上絵であっても先述した原画拡大法を使えば数十人で数時間もあれば完成してしまうため、長期的な公共事業になることはなかったのではという疑問が残る。

    権力者の葬式説

    ナスカではピラミッドが発見されていることから、ナスカの地上絵も権力者の埋葬のために描かれたのではないかとする説。古代ナスカで信仰された宗教では、人は死後に太陽に還るとされている。
    権力者の葬式説
    そのため死んだ権力者を太陽へ導くため、もしくは死者へ贈るメッセージとしてナスカの地上絵が描かれたのではないかと考えられている。
    古代ナスカでは宗教的傾向が強かったため、この説は特に有力であるとされている。

    宇宙人のマーキング説

    ナスカの地上絵は当時の人々が目視できないものであったため、古代の地球に到来した宇宙人によって描かれたのではないかとする説。
    ナスカの地上絵がUFO(未確認飛行物体)の発着場なのではないかという意見は古くから存在しているのは皆さんもご存知だろう。
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    宇宙人が地球を訪れた際にマーキングとしてナスカの地上絵を描いたと考えるならば、全長50キロメートルにもなる矢印や200メートル以上の地上絵の書き方がわからないことにも、一応説明は付くことには付くが・・・。

    管理人:ニート神
    からのひとこと

    最大のオーパーツであるナスカの地上絵についてご紹介したよ
    ナスカの地上絵とは単なる宗教的な遺物なのか?
    それとも宇宙人が地球に訪れた証拠だったのだろうか?
    地球にはまだまだロマンが溢れているね

    色々あった数か月
    更新遅れてホントごめんね!
    また更新するよ!










    ナスカの地上絵

    世界最大のオーパーツともいわれる「ナスカの地上絵」
    このナスカの地上絵は誰がいつ何のために描いたのだろう?
    今回はナスカの地上絵の詳細と描き方、存在理由について特に有力とされている説をご紹介する

    ⑥ナスカの地上絵は誰が描いたのか?

    ナスカの地上絵が描かれた年代から、これらの絵は当時のナスカ市周辺で栄えていたナスカ文化時代の人々が描いたのではないかといわれている。
    古代ナスカの人々は狩りや農業を行ない自給自足の生活をしており、宗教を非常に重んじていたことがわかる。
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    現地からはナスカ文化のものとみられる着色済みの土器が数多く出土しており、そのほとんどは地上絵と同じく動物をモチーフにしていた。
    この事実も彼らがナスカの地上絵を描いた証拠のひとつであるとされている。

    ⑦ナスカの地上絵の近くにはピラミッドも存在する?

    ナスカの地上絵が広がるパンパ=コロラダから南へ500メートルほど離れた砂漠地帯に30以上の巨大なピラミッドが存在していることがわかっている。
    この「ナスカのピラミッド」もナスカ文化時代の人々が建設したと考えられており、世界最古のピラミッドである可能性もあるといわれている。
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    ナスカ文化では階級制度は存在したが、古代エジプトのように奴隷は存在していなかった。
    そのため30を超える巨大ピラミッドを一体どのようにして建設したのかは現在でも謎とされている。

    ⑧ナスカの地上絵の描き方は?

    ナスカ文化時代の人々はどのようにしてこのような巨大な絵を描くことができたのだろう?
    実はナスカの地上絵の描き方はいくつかの方法ですでに再現することができている。
    ここではナスカの地上絵の描き方についてご紹介する。

    種まき応用法

    ナスカでは現在でも地上絵の作成が行われており、その際に用いられる方法がこの「種まき応用法」。この方法では絵を描く際に複数の人間が横並びになって歩幅を合わせながら前進していく。
    そしてこの歩幅によって距離を測定しながら均等に地上絵を描いていく方法だ。
    種まき応用法
    この方法は全長50メートルほどの地上絵を手軽(?)に描くことができるがそれ以上大きな絵を描くことには適していない。
    50メートル以上の地上絵を描く際には次の「原画拡大法」が用いられたと考えられている。

    原画拡大法

    原画拡大法とは最初に地上絵のモデルとなる絵を描き、それを元にさらに大きな絵を描いていく方法。モデルの絵には支点となる木棒を打ち込み、拡大したい長さの紐と絵を描くためのもうひとつの木棒を取り付ける。これによってモデルの絵と全く同じ線を拡大して描くことが可能となる。原画拡大法
    現在ではこの原画拡大法によるナスカの地上絵の再現を算数の授業に取り入れている小学校もあり、この方法を用いれば子どもだけでも巨大な地上絵が描けることが証明されている。

    しかし、原画拡大法は紐を真っ直ぐ張った状態でなければ描写できないため、この方法によって描くことができる地上絵は最大でも200メートルが限界であると考えられている。
    200メートルを超える地上絵については現在でも詳しい描き方がわかっていない。

    ⑨ナスカの地上絵は消えないって本当?

    ナスカの地上絵は単なる地上に引かれた線であるにも関わらず、描かれてから1400年~2200年経過した現在でも消えずに存在し続けている。
    そのためナスカの地上絵はオカルト的な何らかの理由により消えないのではないかという噂もあるよう
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    先述したとおりナスカの地上絵は、雨が少なく水はけの良い地層の上に描かれたため、数千年の長きにわたって消えずに残ることができた。
    しかし、現実的な問題としてナスカの地上絵は日々消えていっていることがわかっている。

    1994年に世界遺産に登録されて以降、ナスカの地上絵には世界中から多くの観光客が訪れるようになった。歩行による絵の消耗を防ぐために観光客は特殊な靴を履くことが義務付けられている。
    しかし、このままではナスカの地上絵の保存は非常に困難であると言わざるを得ない状況だ。

    Part3へ続く「ナスカの地上絵の描き方そして存在の意味 Part3

    ナスカの地上絵

    世界最大のオーパーツともいわれる「ナスカの地上絵」
    このナスカの地上絵は誰がいつ何のために描いたのだろう?
    今回はナスカの地上絵の詳細と描き方、存在理由について特に有力とされている説をご紹介する

    ①ナスカの地上絵とは?

    ナスカの地上絵とは、ペルー共和国の乾燥地帯に描かれている巨大な地上絵。
    これらの絵は乾燥した地面の上の小石を取り除き、白い大地を露出させることで描かれている。
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    ナスカの地上絵はあまりに巨大であることから地上から全貌を確認することはできず
    飛行機などに乗ってある程度の高度に達しなければ何が描かれているか判断できない。
    1939年にアメリカの考古学者ポール・コソックによって発見されて以降、新しい絵が次々に見つかっているが、このような絵が何故描かれたかは現在でも謎とされている。

    ②ナスカの地上絵の場所は?

    ナスカの地上絵はペルー共和国のパンパ=コロラダと呼ばれる盆地に描かれている。
    パンパ=コロラダはペルーの南海岸とアンデス山脈のあいだに位置しており、小石が地面を埋め尽くす乾燥地帯。
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    この場所は年間を通して雨が少なく水はけも良い地層であったため、非常に長い期間ナスカの地上絵を保存することができた。
    ナスカの地上絵を描いた人々はこのような場所の特性を活かし、後世にまでこれらの絵を残そうとした。

    ③ナスカの地上絵の種類は?

    地上絵には動物が描かれているものが多く、その種類もサルやヒトなどの哺乳類から鳥類、爬虫類、魚類と多岐にわたる。
    中には何の動物を描いているのか判断が難しいものもあるが、基本的には実在の生物がモデルであると考えられている。
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    生物ではない模様や矢印のような絵に至っては700種類以上が確認されており、これらが何を意味していたのかは解明されていない。
    ナスカの地上絵を構成する直線の数は1万を超えているといわれている。

    ④ナスカの地上絵の大きさは?

    ナスカの地上絵の大きさは一定ではなく描かれるものによってそれぞれ違うが、どれも絵としては規格外の大きさ。
    最も有名な「ハチドリ」は全長が96メートルと巨大で、同じく有名な「サル」の絵も55メートルを超えている。
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    最も大きな地上絵はペリカンのような鳥を描いたもので、全長は285メートルにも達した。
    また、これらを構成する地上線の幅は最大で60センチメートルもある。
    絵ではないが、人工的に描かれた矢印のような模様も確認されており、その長さは50キロメートルにも及ぶ巨大なもの。
    このように巨大な絵や矢印は航空技術の存在しなかった当時の人々には全体像を把握することのできないものだった。

    ⑤ナスカの地上絵はいつ頃描かれたのか?

    ナスカの地上線には絵を描くために用いたとみられる木棒が残されているものがある。
    この木棒による年代測定の結果、ナスカの地上絵は今から1400年~2200年前頃のナスカ文化時代に描かれたことがわかっている。
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    驚くことに地上に引かれた線でしかないナスカの地上絵は、数千年にわたって消えずに存在していたことになる。

    Part2へ続く「ナスカの地上絵の描き方そして存在の意味 Part2

    ボマルツォ怪物公園

    世界には美しい光景もあれば、見るだけで奈落の底に突き落とされる絶望的な風景もある。
    大量虐殺が起きた現場、幽霊が出ると曰く付きの物件、廃墟と化した街、自殺の名所・・・。
    健康被害をもたらす汚染地帯、秘密の実験に使われていた島・・・など
    世界には数え切れないほど存在している。
    今回はそんな衝撃的で不気味な場所を取り上げたので紹介しよう。
    ちなみに今回は何となく敬語ではない。

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    点在する場所、そして建造理由とは

    イタリア中部、ウンブリア州のマルツォという名の知れない町に、世界でも有数の奇妙な公園がある。
    恐ろしい形相をした怪物のモニュメントが敷地いっぱいに点在しているところから「怪物公園」と呼ばれている観光スポットだ。

    公園が探勝したのは1552年のこと。当時、この地帯を治めていた貴族「オルシーニ・フランチェスコ王子」が最愛の妻を亡くし悲しみに打ちひしがれている中、その苦痛から解放されるために設立したという。

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    誰が建造した?

    王子が設計を依頼したのは、ルネサンスを代表する建築家「ピッロ・リゴーリオ」その人だ。
    イタリア貴族の邸宅や別荘を多く設計、イタリア式庭園のスタイルを確立させたと言われる世界的、歴史的に有名な人物であり、ミケランジェロの死後、サンピエトロ寺院の建設を引き継いだのもリゴーリオだ。
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    そんな大建築家が造ったにもかかわらず、フランチェスコ王子の死後、この庭園のことは忘れ去られてしまう。しかし、約400年後の1954年、一人のイタリア人がこの土地を購入し、懇切丁寧に修復したおかげで。公園の怪物たちは眠りから目覚めたのである。

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    管理人:ニート神
    からのひとこと 

    訪れたらいつの間にか、別世界にいた。なんてありそうな場所
    ボマルツォ怪物公園の写真は他にもネット上にたくさんあるので、見てみると面白い
    ツアーもあるみたいで、入園料は10ユーロ(日本円で1200円ほど)
    意外と高い



     

    —リトアニアの「十字架の丘」について—

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    「十字架の丘」とは、リトアニア北部の都市シャウレイから北方約12キロの地点に位置する、無数の十字架が立てられたカトリック教会の巡礼地のことである。
    この地に初めて十字架が立てられたのは、1830年から1831年頃にかけて、ポーランドとリトアニアにて発生した11月蜂起の後だと考えられており、現在では合計で約50,000個以上もの十字架が無造作に立てられている。
    2001年には、ユネスコの無形文化遺産において、「リトアニアの十字架の手工芸とその象徴」として掲載されており、現在ではリトアニアを代表する観光地の一つとして広く知られている。
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    「十字架の丘」とは?

    「十字架の丘」とは、リトアニア北部の都市シャウレイから北方約12キロの地点に位置する、無数の十字架が立てられたカトリック教会の巡礼地のことである。この「カトリック教会」とは、ローマ教皇を中心として全世界に約12億人以上もの信徒を有する、キリスト教では最大の教派のことである。

    この地に初めて十字架が立てられたのは、1830年から1831年頃にかけて、ポーランドとリトアニアにて発生した11月蜂起の後だと考えられている。この11月蜂起における、多くの犠牲者を追悼する目的から、この地に遺族が十字架を立てたことが始まりだとされている。

    現在では合計で約50,000個以上もの十字架が無造作に立てられており、この地を訪れる巡礼者によって数多くのイエス・キリストの像やマリア像、ロザリオなどが置かれたままとなっている。1993年9月7日には、教皇のヨハネ・パウロ2世がこの地を訪れており、この地が「希望と平和、愛、そして、多くの犠牲者のための場所」であると述べている。

    2001年には、ユネスコの無形文化遺産において、「リトアニアの十字架の手工芸とその象徴」として掲載されており、現在ではリトアニアを代表する観光地の一つとして広く知られている。またこの地には誰でも自由に出入りすることが可能となっており、好きな場所に十字架を立てることが許されている。



    参考画像

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    管理人:ニート神
    からのひとこと

    初めて十字架の丘の写真を見たとき、すげぇ!!!!と思ったのと同時に
    Fate/stay night」のアンリミテッドブレイドワークスが浮かんだ。
    一度行って見たいですね。 

     
     

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