超常科学 -キリキリバサラ-

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    2017年03月

    河童

    日本で最も有名な妖怪のひとつ「河童」
    近年ではUMAとしても扱われるこの河童は本当に存在しているのだろうか?

    今回は語り継がれる河童の伝説と目撃事例、その正体について有力な説をご紹介する。

    河童の正体は?

    多くの目撃情報が存在する河童の正体とはいったい何なのだろう?
    ここでは河童の正体とされているものの中から特に有名な説をご紹介する。img_3

    ①水死体説

    河童の正体として現在最も有力とされているのがこの水死体説。人の死体が水中に放置されると肌は緑色に変化し、髪の毛は抜け落ちてしまう。川辺に緑色で頭の禿げた水死体が浮いていれば、河童と見間違えても仕方がないかもしれない。また、水死体は体内でガスが膨張するため、膨らんだ体が背中の甲羅に見えていたのではないかという説もある。

    水死体説事故が起こりやすい川辺は非常に危険な場所であるため、大人たちが河童という存在を創り上げ子どもたちを遠ざけたのではないかといわれている。また、貧しかった時代には親が子どもを間引くという凄惨な風習が存在しており、川に捨てられた兄弟を子どもたちに見せないために付かれた嘘だという説も存在している。

    ②スッポン説

    目撃される河童は意思を持って動いているものが多いため、既知動物の誤認の可能性も捨てきれない。そうした場合、最も有力だといわれている生物はスッポン。スッポンは河童の特徴である緑色の肌をしている個体もあり、口も鋭く尖っている。

    スッポン説また、大きいものでは全長60センチメートルと子どもほどの大きさにまで成長するため、見たこともない巨大な亀を当時の人々が河童と勘違いしたのかも知れない。スッポンは亀とは思えないほどの速度で移動することもあることもあり、その点も河童の特徴に一致するとかとか。

    ③キリシタン説

    河童の行動があまりにも人間に似ているため、その正体は何かしらの理由で村人から姿を隠していた人間だったのではないかという説もある。

    キリシタン説当時は宗教的な問題でキリシタンなどは酷い弾圧を受けており、迫害を恐れた彼らが村人に隠れて水浴びをしていた様子が河童と誤認されたのではないかという。「トンスラ」と呼ばれる宣教師の髪型は確かに河童に似ているような気もするけど・・・・・・・・。(失礼じゃね!?wwwww

     

    ④UMA(未確認生物)説

    チュパカブラやフロッグマンなど、河童のように子どもほどの背丈で緑色の肌をしているUMAは世界中で目撃されている。河童もこれらと同種の生物であり、未だ発見されていない新種の生物なのではないかという説

    UMA(未確認生物)説しかし、海と違い生物の隠れる場所の少ない河川においては、河童ほどの大きさでありながら人に存在を確認されていない生物が実在する可能性は極めて低いといえる。
    UMAチュパカブラについてはあとで記事にしようかな。

    ⑤宇宙人説

    河童の正体とされる生物が見つかっていないことから浮上したのがこの河童宇宙人説(これには笑ったwww)
    河童の姿は宇宙人グレイに似ている部分も多く、緑色の肌をしたグレイの目撃報告も存在する。

    宇宙人説

    UFOで空を飛び回れる宇宙人が河童の正体であれば、世界各地に河童に似たUMAが目撃されていることにもうなずける気がする。しかし、地球外生命体の存在確率が非常に高いとされている現代においても、宇宙人が河童の正体である確証は存在しない。

    出典:wikipedia

    管理人:ニート神
    からのひとこと 

     いかがでしたか?日本の有名なUMA河童についてご紹介したよ
    河童として目撃された生物は一体何者だったのだろう
    昔は河童を見た!!とかニュースでやったりしてたみたいだけど
    最近はそういうのなくなったよね
    またUMA特集みたいなのやってくれないかなー。

     

    河童

    日本で最も有名な妖怪のひとつ「河童」
    近年ではUMAとしても扱われるこの河童は本当に存在しているのだろうか?

    今回は語り継がれる河童の伝説と目撃事例、その正体について有力な説をご紹介する。

    河童の目撃事例

    古くから日本で語られる河童伝説だが、比較的近年でもその姿は目撃されている。
    ここでは河童とみられる生物の目撃事例をご紹介しよう。

    ①走り回る謎の生物

    1937年8月、沖縄の男性が謎の生物を目撃。
    友達数人と別荘に泊まりにきていた男性は夜にも関わらず、窓の外が明るいことに気が付く。不思議に思って外に出てみると、近くの川で誰かが走っているような水音が聞こえた。友人を引き連れて川の様子を見に行くと、そこには子どもほどの背丈の河童のような生物が走り回っていたという。

    河童の目撃事例その生物は運動神経が発達しているように見え、近くの木に飛びついてぶら下がったり川に飛び込んだりしていた。そして手には水かきのようなものがあったそう。

    ②川に逃げ込んだ不思議な生物

    1985年8月の長崎県でも河童の目撃報告がある。釣り帰りの男性が車で走行中に体長1メートルほどの不思議な生物を目撃する。その生物は一般的にいわれる河童そのままの姿をしていたという。

    川に逃げ込んだ不思議な生物河童のような生物は車に気が付くと驚いたように川に飛び込んで逃げてしまった。あまりのことに仰天した男性は通報し、後日警察によって現場検証が行われた。すると20センチメートルほどの足跡と謎の粘液が発見されたという。

    ③解析された粘液

    1991年6月、宮崎県に住む男性が帰宅すると何者かに家が荒らされていることに気が付いた。家の中には10センチメートルほどの三本指の足跡が残されていたが、男性の知るどの動物のものとも一致しなかったという。

    解析された粘液足跡には粘液が付着していたが、検査の結果男性の家の近くにある湧き水のものと同じ成分が検出されたそう。

    管理人:ニート神
    からのひとこと 

     さて、続いては河童の正体?について書いていこうと思うが
    一旦この記事で区切りとさせて別記事で紹介しようと思う。
    続きは「河童は実在するのか?その目撃事例と意外な正体:Part3」こちらからどうぞ!  

    河童

    日本で最も有名な妖怪のひとつ「河童」
    近年ではUMAとしても扱われるこの河童は本当に存在しているのだろうか?

    今回は語り継がれる河童の伝説と目撃事例、その正体について有力な説をご紹介する。

    河童

    河童とは

    河童とは日本で語り継がれている妖怪であり、現在ではUMA(未確認生物)のひとつに数えられている生物。日本各地に伝承が残っており、川や池を守る「水神」として扱われている。河童は日本の妖怪の中でも最も有名なもののひとつで、UMAに詳しくない人でも河童の存在を知らない人はおそらくいないだろう。

    河童とは河童の好物は胡瓜(キュウリ)だといわれており、そのことからキュウリの巻き寿司は「カッパ巻き」と呼ばれている。イタズラが好きでよく悪事を働き、人間の尻の穴から「尻子玉」抜いて殺してしまうとされている。

    河童の姿

    河童はその名前が表すとおり子どもほどの背丈しかなく、特徴的な緑色の肌をしている。頭には皿のような器官があり、これが乾くと死んでしまうらしい。水辺に適応した手足には水かきがあり、背中には亀のような甲羅を備えている。伝承によればその甲羅を通して片方の腕が伸びると、もう片方の腕は縮むといわれている。

    河童の姿一般的によく知られている河童は亀と人間の子どもが融合したような姿をしている。
    しかし、中には肌が赤色をしていたり、猿のように全身を毛で覆われている河童の伝承も残っていたりする。

    河童の言い伝え

    河童に関する伝承は日本各地に存在する。
    ここでは古くから語り継がれてきた河童の言い伝えをご紹介しよう。

    ①平家の武士が河童になった

    九州地方では平家を滅亡に至らせた「壇ノ浦の戦い」の戦いによって河童が誕生したという言い伝えが残っている。源氏によって殺された平家の武士は死後もその恨みによってこの世に留まり続けた。
    やがて彼らの魂は河童となり、各地で人や家畜などを水に引きずり込んで殺して回ったという・・・。

    平家の武士が河童になった
    画像:安徳天皇縁起絵図

    当時の日本では不吉なことがあった際には平家の怨念をその理由と考えることが多かったようだ。
    しかし、実際に様々な事故は起こっており、その原因を引き起こしていた何かしらの生物が実在していた可能性はゼロとはいえない。

    ②河童の恩返し

    神奈川県の茅ヶ崎市には河童の恩返しにまつわる逸話が残っている。
    昔、五郎兵衛と呼ばれる男が河童を助けたところ、河童はお礼として彼に「徳利(とっくり)」を差し出したといわれている。この徳利は家宝として子孫に受け継がれ、現在でも家族が所持しているといわれている。

    河童の恩返しまた、相模原市を流れる目久尻川(めくじりがわ)には過去に河童が出没したという言い伝えがあり、イタズラ好きの河童を捕らえた当時の村人たちが目をくり抜いて流したことが川の名前の由来だとされている。

    ③越後の河童

    福岡県の筑後川にも河童が出没したという話が残っている。越後には河童にまつわる伝承が数多く存在し、河童同士の争いや地元村人ともめごとを起こしたなどの記録がある。

    越後の河童現在でも河童を祭る「水の祭典」がおこなわれており、久留米市では河童を使った地域興しも盛ん。

    ④反省文を書かされた河童

    長野県を流れる千曲川にも河童の伝説が存在する。頻発する河童のイタズラに激怒した村人は遂には河童を捕まえ、反省の証文を書かせることに成功したという。

    反省文を書かされた河童この証文が河童の解放後に土中に封印された。
    千曲川周辺が水の勢いによって土崩れが起こしやすいのは、河童がこの証文を取り戻そうとしているからだといわれている。

    ⑤ペットになった河童

    同じく千曲川の近くでは河童を飼っていた男の逸話も残っている。ある男が河童を捕まえることに成功し、臼に縛り付けてこれを飼っていた。

    ペットになった河童しかし、ある夜男の夢に河童が現れ「この家がゴボウに困らないようにするから逃がして欲しい」と哀願する。男は河童を逃がしてやり、それ以降男の屋敷には絶えずゴボウが生えるようになったという。

    ⑥河童の薬

    茨城県の牛久沼には河童の薬にまつわる伝承が存在する。あるとき片腕を無くした河童が困っているところを通りすがりの男が一緒に探してやった。

    河童の薬河童の腕を見つけた男が河童にこれを返してやると、河童は何やら不思議な薬で腕を元通りにくっ付けてしまった。驚く男に河童はその薬に作り方を教えてくれました。この薬はどんな怪我も癒す「万能薬」だったという。

    ⑦猿猴(えんこう)

    猿猴は広島の猿猴川に生息するとされているUMA。
    この猿猴は河童の仲間であるとされており、体は猿のように毛で覆われていたといわれている。

    猿猴(えんこう)
    画像:Anoyo Yōkai Onmyoji

    猿猴にまつわる伝説は恐ろしいもので、人に襲い掛かると尻の穴に手を入れて生き胆を抜き取るとされていた。猿猴は人に化けることもでき、人と交わって子どもを作ることもあったといわれている。

     

    管理人:ニート神
    からのひとこと 

    さて、続いては河童の目撃例について書いていこうと思うが
    一旦この記事で区切りとさせて別記事で紹介しようと思う。

    続きは「河童は実在するのか?その目撃事例と意外な正体:Part2」こちらからどうぞ!  



     

    ボマルツォ怪物公園

    世界には美しい光景もあれば、見るだけで奈落の底に突き落とされる絶望的な風景もある。
    大量虐殺が起きた現場、幽霊が出ると曰く付きの物件、廃墟と化した街、自殺の名所・・・。
    健康被害をもたらす汚染地帯、秘密の実験に使われていた島・・・など
    世界には数え切れないほど存在している。
    今回はそんな衝撃的で不気味な場所を取り上げたので紹介しよう。
    ちなみに今回は何となく敬語ではない。

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    点在する場所、そして建造理由とは

    イタリア中部、ウンブリア州のマルツォという名の知れない町に、世界でも有数の奇妙な公園がある。
    恐ろしい形相をした怪物のモニュメントが敷地いっぱいに点在しているところから「怪物公園」と呼ばれている観光スポットだ。

    公園が探勝したのは1552年のこと。当時、この地帯を治めていた貴族「オルシーニ・フランチェスコ王子」が最愛の妻を亡くし悲しみに打ちひしがれている中、その苦痛から解放されるために設立したという。

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    誰が建造した?

    王子が設計を依頼したのは、ルネサンスを代表する建築家「ピッロ・リゴーリオ」その人だ。
    イタリア貴族の邸宅や別荘を多く設計、イタリア式庭園のスタイルを確立させたと言われる世界的、歴史的に有名な人物であり、ミケランジェロの死後、サンピエトロ寺院の建設を引き継いだのもリゴーリオだ。
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    そんな大建築家が造ったにもかかわらず、フランチェスコ王子の死後、この庭園のことは忘れ去られてしまう。しかし、約400年後の1954年、一人のイタリア人がこの土地を購入し、懇切丁寧に修復したおかげで。公園の怪物たちは眠りから目覚めたのである。

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    管理人:ニート神
    からのひとこと 

    訪れたらいつの間にか、別世界にいた。なんてありそうな場所
    ボマルツォ怪物公園の写真は他にもネット上にたくさんあるので、見てみると面白い
    ツアーもあるみたいで、入園料は10ユーロ(日本円で1200円ほど)
    意外と高い



     

    座敷わらし

    見た人を幸福にするといわれている日本の妖怪「座敷わらし」
    しかし、座敷わらしには本当は怖い伝承が存在します。

    今回は座敷わらしに関する言い伝えとその正体をご紹介します。

    座敷わらし

    座敷わらしの正体は?

    座敷わらしの正体とは一体何者なのでしょうか?
    ここでは座敷わらしの正体とされているものの中から特に有名なものをご紹介します。

    ①幽霊説

    日本でまだ近代化が進んでおらず、人々が貧しかった時代には「口減らし」という習慣が存在していたといわれています。口減らしとは文字通りご飯を食べる口を減らすという意味であり、一家共倒れを防ぐために親が実の子どもを間引きしていたのです。口減らしにあった子どもは死亡したことを公言できなかったため、墓ではなく土間や軒下に埋められました。

    幽霊説座敷わらしは座敷の他にも土間や台所に出没することも多いため、口減らしにあった子どもの幽霊がその正体ではないかという説があります。座敷わらし(子ども)を追い出した家が不幸になるというのも、子どもの幽霊の怨念が働いているといえるのかも知れません。

    ②大工の呪い説

    座敷わらし正体が家を建てた大工の呪いだという驚くべき説も存在します。
    当時の大工には気持ちよく仕事ができなかったり、職人に無礼を働いた家人がいた際にはその家に呪いをかける習慣があったという話があります。

    大工の呪い説そうした場合、大工は木片で作った人形を家の要所に埋め込んでいたといいます。これらの呪いが座敷わらしという不思議な現象を生んだのではないかといわれていますが、座敷わらしを目撃すると幸福になるという話には結びつきません。

    ③子ども奴隷説

    権力者の家で奴隷として働いていた子どもが座敷わらしの正体だとする説も存在します。
    当時、戦で身寄りを亡くした子どもたちの多くは、その土地の権力者の屋敷で奴隷同然に働かされていました。しかし、戦争孤児を奴隷にすることは世間体が悪かったため、座敷わらしという存在が生み出されたのではないかといわれています。

    子ども奴隷説家人だけではなく隣人や来客も座敷わらしを目撃することが多かったこともこの説を後押ししています。また、奴隷としての労働力が増えることで権力者の家はますます栄えることになりました。この説が本当だとしたら、戦争で親を亡くし奴隷のように働かされながら、妖怪に仕立て上げられた子どもたちが不憫で仕方ありません。

    ④UMA(未確認生物)説

    座敷わらしは河童など他の妖怪と同一視されることがあります。
    また、人間の姿をしていない座敷わらしも目撃されていることから、座敷わらしのモデルとなったUMAが存在していた可能性もあります。

    UMA(未確認生物)説しかし、屋内に侵入するような生物が長いあいだの確認されないままでいるというのは不自然です。野生動物と座敷わらしを見間違える可能性も高くはないでしょう。一体彼らは何を座敷わらしと呼んでいたのでしょうか?

    出典:wikipedia

    管理人:ニート神
    からのひとこと 

    座敷わらしに会ってみたい・・・良い伝承、伝説で語られる座敷わらしには
    会いたいけど、想像している座敷わらしとは真逆だったら・・・

     

    座敷わらし

    見た人を幸福にするといわれている日本の妖怪「座敷わらし」
    しかし、座敷わらしには本当は怖い伝承が存在します。

    今回は座敷わらしに関する言い伝えとその正体をご紹介します。

    座敷わらし

    座敷わらしとは

    座敷わらしとは、見た者を幸せにすると伝えられている日本の妖怪です。その名の通り古い座敷や屋内に出没するといわれており、座敷わらしが住み着いた家は経済的にも成功するとされてきました。
    その一方でイタズラをして人を驚かせるなど、妖怪らしい一面も持っています。
    しかし、日本では座敷わらしは「幸運の象徴」として扱われており、恐怖するよりも一目見たいという人の方が多いようです。

    座敷わらしとは

    座敷わらしの姿

    座敷わらしの姿は目撃される家によって様々だといわれています。
    一般的には着物を着た5歳ほどの子どもの姿で描かれることが多い座敷わらしですが、中学生や高校生ほどの年齢の座敷わらしも存在するとされています。また、頭はおかっぱ髪で、現代というよりは一昔前の子どもの姿をしています。男女どちらの座敷わらしも目撃されていますが、人間ではなく動物のような姿で現れることもあるそうです。

    座敷わらしの姿座敷わらしの姿は同じ子どもにしか見えないともいわれています。座敷わらしが現れた際には大人にはその姿が認識できないため、子どもの顔ぶれは変わらないのに何故か一人多いという不思議な現象が起こるとされています。

    座敷わらしのイタズラ

    座敷わらしは夜に現れることが多く、誰もいない部屋で走り回って遊んだり笑い声をあげたりすると伝承されています。また、家中に子どもの足跡が残されていたこともあるようです。

    座敷わらしのイタズラ家具や物体にも干渉することがあり、誰もいない部屋の糸車がひとりでに回るのは座敷わらしの仕業であるとされています。子どもに対してはもっと直接的に干渉を示し、一緒になって遊んだり迷子になった際には家まで案内したという話も残っています。

    座敷わらしの言い伝え

    日本各地には古くから座敷わらしについて様々な伝承が残っています。
    ここでは座敷わらしの言い伝えをご紹介します。

    ①美しい座敷わらし

    岩手県の奥州市には古くから座敷わらしが出現していたという言い伝えが残っています。それによれば座敷わらしは家の様々な場所に現れるが、その場所によって全く異なる姿をしていたとされています。

    美しい座敷わらし玄関近くや土間で目撃される座敷わらしは小汚い恰好をしていましたが、奥間の座敷に現れるものは容姿も美しく綺麗な着物姿だったといわれています。しかし、当時の座敷わらしは富をもたらす福の神としては扱われておらず、他の妖怪と同様に不気味で恐ろしい存在であるとされていたそうです。

    ②醜い座敷わらし

    同じく岩手県にはとても醜い座敷わらしの話も存在しています。
    ある貧しい男が売れ残った薪を水神への供物として海に投げ入れました。すると水神の使いが現れて男を竜宮城に連れていったのです。男は竜宮城でもてなされ、帰り際に薪のお礼としてとても醜い男の子ども連れて帰るようにいわれます。

    醜い座敷わらしこの子どもは男の言ったものすべてを現実にすることができたため、貧乏だった男は使い切れないほどの富を手に入れました。
    しかし、醜い子どもに我慢できなくなった男は遂に家から追い出してしまいます。するとそれまで子どもが現実にしてくれた富のすべてが消え失せてしまったのです。
    この話は「竜宮童子」と呼ばれ、座敷わらしと同種の存在を描いたものであるとされています。

    ③学校に現れた座敷わらし

    明治43年、岩手県遠野市にある小学校に座敷わらしが現れたという記録が残っています。
    この座敷わらしは6歳の生徒にしか見えなかったといわれており、姿のない何者かと楽しそうに遊ぶ年少生徒を年上の生徒や教員は不思議そうに見守ったといわれています。

    学校に現れた座敷わらし

    ④イタズラが過ぎる座敷わらし

    岩手県の遠野市で語られる座敷わらしは、夜になるとその家の娘にイタズラをするといわれています。
    また、香川県には夜になると仏壇から子どものような妖怪が出てきて寝ている家人を一晩中くすぐり続けるという伝承も存在します。座敷わらしはイタズラ好きであるとされていますが、度が過ぎるところもあるようです。

    イタズラが過ぎる座敷わらし

    ⑤恐ろしい座敷わらし

    2005年まで岩手県にあった宮守村には恐ろしい座敷わらしの言い伝えが存在しました。
    とある蔵から恐ろしい唸り声が上がるようになり、それは幾晩も続きました。すると今度は近くの屋敷におかしなものが出現するようになったのです。

    恐ろしい座敷わらしそれは子どもほどの背丈しかありませんでしたが、夜中になると屋敷中を徘徊し続けました。
    目撃した村人の話ではそれは黒い獣ような姿をしていたといいます。
    一般的なイメージとは異なりますがこれも座敷わらしの一種であるとされています。

    ⑥手招きする座敷わらし

    岩手県の遠野市にも私たちのイメージとは全く違う座敷わらしが出現しています。
    ある夜、家人が目を覚ますと部屋の襖が少し空いていました。おかしいなと思っていると襖の隙間から白い手がすーっと伸びてきて、ゆっくりと手招きの恰好をするのです。

    手招きする座敷わらしその手は確かに人のものでしたが、それが信じられないくらい細い腕だったといいます。
    これもやはり座敷わらしの仕業であるとされていますが、とても福の神の行動とは思えません。

    管理人:ニート神
    からのひとこと 

    今日は敬語。
    次回「座敷わらしの正体は?
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