河童
日本で最も有名な妖怪のひとつ「河童」近年ではUMAとしても扱われるこの河童は本当に存在しているのだろうか?
今回は語り継がれる河童の伝説と目撃事例、その正体について有力な説をご紹介する。
河童とは
河童とは日本で語り継がれている妖怪であり、現在ではUMA(未確認生物)のひとつに数えられている生物。日本各地に伝承が残っており、川や池を守る「水神」として扱われている。河童は日本の妖怪の中でも最も有名なもののひとつで、UMAに詳しくない人でも河童の存在を知らない人はおそらくいないだろう。
河童の好物は胡瓜(キュウリ)だといわれており、そのことからキュウリの巻き寿司は「カッパ巻き」と呼ばれている。イタズラが好きでよく悪事を働き、人間の尻の穴から「尻子玉」抜いて殺してしまうとされている。
河童の姿
河童はその名前が表すとおり子どもほどの背丈しかなく、特徴的な緑色の肌をしている。頭には皿のような器官があり、これが乾くと死んでしまうらしい。水辺に適応した手足には水かきがあり、背中には亀のような甲羅を備えている。伝承によればその甲羅を通して片方の腕が伸びると、もう片方の腕は縮むといわれている。
一般的によく知られている河童は亀と人間の子どもが融合したような姿をしている。
しかし、中には肌が赤色をしていたり、猿のように全身を毛で覆われている河童の伝承も残っていたりする。
河童の言い伝え
河童に関する伝承は日本各地に存在する。
ここでは古くから語り継がれてきた河童の言い伝えをご紹介しよう。
①平家の武士が河童になった
九州地方では平家を滅亡に至らせた「壇ノ浦の戦い」の戦いによって河童が誕生したという言い伝えが残っている。源氏によって殺された平家の武士は死後もその恨みによってこの世に留まり続けた。
やがて彼らの魂は河童となり、各地で人や家畜などを水に引きずり込んで殺して回ったという・・・。
画像:安徳天皇縁起絵図
当時の日本では不吉なことがあった際には平家の怨念をその理由と考えることが多かったようだ。
しかし、実際に様々な事故は起こっており、その原因を引き起こしていた何かしらの生物が実在していた可能性はゼロとはいえない。
②河童の恩返し
神奈川県の茅ヶ崎市には河童の恩返しにまつわる逸話が残っている。
昔、五郎兵衛と呼ばれる男が河童を助けたところ、河童はお礼として彼に「徳利(とっくり)」を差し出したといわれている。この徳利は家宝として子孫に受け継がれ、現在でも家族が所持しているといわれている。
また、相模原市を流れる目久尻川(めくじりがわ)には過去に河童が出没したという言い伝えがあり、イタズラ好きの河童を捕らえた当時の村人たちが目をくり抜いて流したことが川の名前の由来だとされている。
③越後の河童
福岡県の筑後川にも河童が出没したという話が残っている。越後には河童にまつわる伝承が数多く存在し、河童同士の争いや地元村人ともめごとを起こしたなどの記録がある。
現在でも河童を祭る「水の祭典」がおこなわれており、久留米市では河童を使った地域興しも盛ん。
④反省文を書かされた河童
長野県を流れる千曲川にも河童の伝説が存在する。頻発する河童のイタズラに激怒した村人は遂には河童を捕まえ、反省の証文を書かせることに成功したという。
この証文が河童の解放後に土中に封印された。
千曲川周辺が水の勢いによって土崩れが起こしやすいのは、河童がこの証文を取り戻そうとしているからだといわれている。
⑤ペットになった河童
同じく千曲川の近くでは河童を飼っていた男の逸話も残っている。ある男が河童を捕まえることに成功し、臼に縛り付けてこれを飼っていた。
しかし、ある夜男の夢に河童が現れ「この家がゴボウに困らないようにするから逃がして欲しい」と哀願する。男は河童を逃がしてやり、それ以降男の屋敷には絶えずゴボウが生えるようになったという。
⑥河童の薬
茨城県の牛久沼には河童の薬にまつわる伝承が存在する。あるとき片腕を無くした河童が困っているところを通りすがりの男が一緒に探してやった。
河童の腕を見つけた男が河童にこれを返してやると、河童は何やら不思議な薬で腕を元通りにくっ付けてしまった。驚く男に河童はその薬に作り方を教えてくれました。この薬はどんな怪我も癒す「万能薬」だったという。
⑦猿猴(えんこう)
猿猴は広島の猿猴川に生息するとされているUMA。
この猿猴は河童の仲間であるとされており、体は猿のように毛で覆われていたといわれている。
猿猴にまつわる伝説は恐ろしいもので、人に襲い掛かると尻の穴に手を入れて生き胆を抜き取るとされていた。猿猴は人に化けることもでき、人と交わって子どもを作ることもあったといわれている。
コメント
御寿司屋でも必ずカッパ巻きも食べてますね
ただ胡瓜は地味に値段が高いので普段は
節約用に別の献立を作っているので食べてませんね…
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