日本で最も有名な妖怪「鬼」。
日本文化の一部ともいえるこの鬼は本当に実在していたのだろうか?

今回は日本各地に残る鬼の伝説とその正体についてご紹介していこうと思います。

鬼に関する伝説

日本では各地に様々な鬼の伝説が残っている。ここではその中でも特に有名なものをご紹介しよう。

①酒に溺れた酒呑童子

昔、丹波の国の大江山には「酒呑童子(しゅてんどうじ)」と呼ばれる鬼が住んでいたといわれている。
酒呑童子は数ある鬼を部下に持つ鬼の統領であり、各地で悪さを働いたとされていた。
神隠しにより民や姫を誘拐する酒呑童子に対し、当時の帝は平安時代の武将「源頼光」を大江山に送り込む。

酒呑童子正面から挑んでは勝ち目のない鬼たちに対して、源頼光は毒入れの酒を飲ませる策に打って出る。これによって昏睡した酒呑童子と仲間の鬼たちは源頼光に一網打尽にされることになった。

②生き残った茨木童子

茨木童子(いばらきどうじ)は酒吞童子の右腕とされている伝説の鬼。
その性別や立ち位置については諸説あり、女の鬼で酒吞童子の恋人だったとする説もある。酒吞童子と一緒に京都を荒らしまわった茨木童子でしたが、先述した源頼光の策によって苦戦を強いられることになる。

茨木童子茨木童子はこの戦いにおいて唯一生き残った鬼だとされており、渡辺綱に腕を切り落とされながらも逃げ延びることに成功したとされる。

③鬼の子 鬼童丸

京都には酒吞童子と人間の子どもである「鬼童丸(きどうまる)」の言い伝えが残っている。
源頼光が酒呑童子を退治した際、鬼たちに拉致された女たちも同時に解放された。
しかし、その中の一人に酒呑童子の子どもを妊娠している女がいたという。
女は気が触れてしまっており、故郷に帰ることもできないまま一人で鬼童丸を産み落とした。

鬼童丸鬼の子である鬼童丸は生まれた時から鋭い歯が生えており、7歳の頃にはイノシシを仕留めて食べていたといわれている。鬼童丸は父の敵として源頼光の命を狙いますが、後に返り討ちにされる。

④鬼の一口

平安時代の伊勢物語には「鬼一口」という逸話が登場する。
お互いに愛し合ったある男女が身分違いによって結婚できなかったために駆け落ちをすることになった。
しかし、突然の豪雨に襲われたため、通りがかった蔵の中に女を潜ませ男は外で一晩中見張りをすることになる。

鬼一口ところが朝になって蔵に入るとそこに女の姿はなかった。このように突然人が消える現象を、昔の人は鬼によって一口で食べられてしまったため悲鳴も上げることができなかったと解釈したらしい。

⑤深夜の百鬼夜行

妖怪に関する伝承の中でも特に有名なもののひとつに「百鬼夜行(ひゃっきやこう)」がある。
平安時代や室町時代には深夜になると鬼が群れを成して徘徊すると信じられていた。
この行列は百鬼夜行と呼ばれ、当時の人々にはとても恐れられていた。

百鬼夜行百鬼夜行を目撃した人は死んでしまうという伝説があったため、人々は深夜に外出することを控えていたといわれている。しかし、伝承の中には百鬼夜行に遭遇しても読経することや朝になったことで助かったという話も存在する。

⑥終わらない地獄 餓鬼

鬼の伝説の中には人が鬼になったとするものも多く存在する。「餓鬼(がき)」は生前に贅の限りを尽くしたり、強欲を貪った人間の成れの果てとされた鬼。餓鬼になった人間は手を触れた水や食べ物がすべて火に変わってしまい、永遠に続く飢餓の中で苦しみ続けるといわれている。

餓鬼その姿は骨のように瘦せ細っており、腹だけが醜く膨れ上がっているとされている。餓鬼は人間への戒めのために生まれた鬼なのかも知れない。 

⑦人に使役された前鬼・後鬼

実在した修験道の開祖「役小角(えんのおづの)」は強力な法力を有し、鬼をも操ったという伝説が残っている。その役小角が使役したとされる鬼が「前鬼・後鬼(ぜんき・ごき)」。
この二匹の鬼は夫婦でしたが、悪さをしていたところを役小角に捕まってしまう。

前鬼・後鬼前鬼・後鬼は子どもも平気で殺す凶悪な鬼だったが、役小角に子どもを隠されたことで親の悲しみを知り、改心したといわれている。奈良県にある大峰山には前鬼・後鬼のものとされる墓も存在している。 

⑧黒塚の鬼婆

福島県には実在したとされる「鬼婆」の墓が残っている。あるとき紀伊国の僧が安達ヶ原を通りがかった際に、宿を借りたいと一軒の家に声をかけた。すると親切そうな老婆が出てきて快く僧を家へ招き入れた。
老婆は薪を取ってくるので奥の部屋は絶対に覗かないようにと言い付け外に出ていった。
しかし、好奇心に負けた僧が奥間を覗くと、そこには大量の人間の骨が転がっていた。

鬼婆老婆に食べられてしまうと感じた僧は慌てて家を抜け出した。しかし、僧が逃げたことに気付いた老婆は恐ろしい鬼婆に姿を変え、僧の後を凄まじいスピードで追いかけてきた。
死を覚悟した僧が観音菩薩像を取り出し経を唱えると、菩薩から光の矢が放たれ鬼婆を貫く。
僧はこの場所に絶命した鬼婆の墓を作り遺体を埋葬した。
その後、いつしかこの土地は黒塚と呼ばれるようになったという。

⑨災いのもと悪鬼

日本では昔から災いは鬼が運んでくると考えられてきた。それを代表するのが「悪鬼(あっき)」。
伝染病が流行するのは悪鬼の仕業だとされており、病気が大流行すると鬼を払う儀式が各地で行われていた。ちなみに節分の豆まきで払われる鬼はこの悪鬼だといわれている。

悪鬼

⑩占い師の天邪鬼

本心とは逆のことをいう人のことを「天邪鬼(あまのじゃく)」と呼ぶが、読んで字の如くこの天邪鬼も鬼の仲間。天邪鬼は人の心を読むことができ、それを利用して悪事を働くといわれている。

天邪鬼伝承される内容は各地によって様々で、山林で人の声真似をする音だけの天邪鬼や、山のように巨大な天邪鬼の逸話も残っている。天邪鬼は占い師の魂が変化したものという説があるため、人の心を読むことができる能力があるとされてきた。

⑪鬼の通り道 鬼門

陰陽道では北東の方角は「鬼門(きもん)」と呼ばれ、鬼が出入りする場所があるとされてきた。
そのため鬼門は現在でも不吉な方角だとされており、場所を決める際には避けなけれならないといわれている。

鬼門鬼門という概念自体は中国から伝わったものだが、不吉な方角としての信仰は日本独自で進化した考え方であることがわかっている。古い建物などでは北東に門を設置することを避けるために、歪な形状をしているものも存在する。

⑫超巨大な鬼

四国地方には巨大な鬼の伝説が数多く残っている。手洗鬼(てあらいおに)と呼ばれるこの鬼は、山と山を跨いで海で手を洗うほど大きいとされている。また、香川県の飯野山には手洗鬼の足跡とされるものも存在している。

巨大な鬼手洗鬼の跨いだ距離は全長12キロメートルを超える瀬戸大橋よりも長いとされており、この鬼が如何に大きいかがわかると思う。

⑬百の目を持つ鬼 百々目鬼

平安時代の武将である「藤原秀郷(ふじわらのひでさと)」には百々目鬼(とどめき)という鬼との逸話が残されている。あるとき秀郷が狩りの帰り道で「この近くには百の目を持つ鬼が出没する」という噂を耳にする。噂を確かめるために夜まで待っていると、両腕に無数の目を持ち体長3メートルを優に超える大きな鬼が現れた。

百々目鬼秀郷が最も妖しく光る鬼の目に向かって矢を射ると、鬼は悶え苦しみ遂には動かなくなってしまった。
しかし、鬼の体からは炎と毒が立ち上り近づくことができなかったという。翌朝、同じ場所に戻るとそこには黒く焼け焦げたような土だけが残されていたそう。

⑭忍者のルーツになった四鬼

日本の古典太平記にも鬼に関する興味深い逸話が記されている。平安時代の豪族である藤原千方という人物は強力な4匹の鬼を使役していた。突風を操る「風鬼」、洪水を起こす「水鬼」、全ての攻撃を弾き返す「金鬼」、気配を消すことができる「隠形鬼」、これらの鬼は四鬼と呼ばれ、使役する藤原千方の力を絶対的なものとしていたという。

四鬼あるとき藤原千方は四鬼の力を使って朝廷を支配しようと謀反を起こす。しかし、紀朝雄(きのともお)の歌によって四鬼を封じられた藤原千方はこの戦いに敗北した。四鬼は忍法の原型になったと考えられており、これらが忍者のルーツであるといわれている。

管理人:ニート神
からのひとこと 

続いては、「鬼の正体」についてです。
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次の更新をお楽しみに